第一回ソーラーシェアリングフェスティバル
千葉県市川市にある千葉商科大学で、「第一回 ソーラーシェアリングフェスティバル」が開催された。行ってきた。まず会場となった千葉商大は面白い大学だ。100パーセント再生可能エネルギーで電力をまかなっている。そんな大学、ほかにはない。学長プロジェクトといって、原科学長主導のもと、電気を自給するだけでなく、ソーラーシェアリングの施設の下では、学生たちがブドウを栽培して、ワインにし、大学ブランドで販売もしているようだ。ほかの大学にも、その動きは広がりつつある。フェスティバルには200人ほどが集まった。2教室を使ってのトークステージがあって、ブースもたくさん出ていた。ソーラーシェアリングは、日本で生まれた技術。農業者を増やすことによって耕作放棄地を減らそうという目論見でのスタートだ。つまり、3~4メートルの支柱を立てて、上で発電、下では農業という、新しいスタイルの事業である。農業だけだと生活ができないため、農業従事者はどんどん減っている。畑や田んぼが放置されて、草だらけになってしまっているのが現状だ。農業をやっているのは高齢者ばかり。このままでは、日本の農業は壊滅する。今でも食料は海外からの輸入に頼り切っている。テレビではバカみたいにグルメ番組ばかりを流しているが、あんなのは砂上の楼閣。もし何かあって、食料が輸入できなくなったら、日本人は飢えてしまう。食べ物はいくらでもあるというのは、錯覚だということに気づかないといけない。だから、発電を行うことで、収入を増やそうというのがソーラーシェアリングのである。作ってしまえば、勝手にお金を産み出してくれる。この日本発祥の技術は、今では世界に広がっている。食とエネルギーというのは、どこの国でも一番の関心事なのだ。ところが、ソーラーシェアリングの日本での広がりは、世界から取り残されてしまっている。広がりを規制しようという動きもあると言うのだから、耳を疑ってしまう。食とエネルギーは、日本でも最大級の問題のはずだ。にもかかわらず、ピンチになれば、どこかの国が回してくれるだろうという根拠のない楽観論。校庭やゴルフ場で芋を作ればいいと、本気で考えている政治家もいるそうだから驚く。エネルギーは、原発を再稼働させようとか、耐用年数を伸ばすとか、気は確かですかと言いたくなるような流れがある。元旦の能登の地震。原発でもいろいろな被害が出た。福島と同じことが起こっても不思議ではなかったと思う。志賀原発の下には活断層があるとかないとか議論があって、ないということで落ち着いたのだったか、あってもなくても、あんな激しい揺れがくるところに原発が建っているということがおかしい。一番ひどく揺れた珠洲市には、原発が建っていたかもしれないという話にはぞっとした。揺れ続ける日本列島。「もう原発は止めようよ」と叫んでいるのだ。だったら電気はどうするの?というときに、ソーラーシェアリングが力を発揮する。みんながみんなやる必要がない。必要だと思った人が、自分の農地の上にソーラーシェアリングを建てる。そんな流れを作れば、電気は十分にまかなえる。日本中がソーラパネルに覆われるなんてことはない。山を崩して作るものでもない。食料と電気を自分たちで作り出そう。そういう動きを、一人ひとりがしないと、この国は変わらない。ぼくはそう思うし、フェスティバルに集まった人たちは、幕末の志士のような意気込みをもっていた。若い人たちが多かったのはうれしかった。ソーラーシェアリングは、もし、この世界が何かおかしいなと違和感をもっている人がいたら、世界を変える道具として、ソーラーシェアリングを考えてほしい。細かいところでは、まだまだ発展途上だ。でも、重箱の隅をほじっていても何も変わらない。やりながら、より良いものを作っていけばいい。我が家には、小さなソーラーシェアリングがある。ぼくは、作って良かったと思う。あれが、ちっちゃなところから世界を変えるという、ぼくの決意表明だから。