不登校があって、いろいろと思い悩んで、親も子も成長したかも
長女の通っていた学校の10周年記念の式典があった。長女は、中学校のときに不登校になり、さて高校はどうすればいいのだろうとあれこれ悩み迷っていたとき、東京には、不登校の子のためのチャレンジ校という高校があるということを知った。入学試験もないし、内申書もない。入学願書と作文と面接で決まる。娘と一緒に何度も学校説明会に行き、傾向と対策をつかんだ。おげさまで合格できた。1年のときは、行ったり休んだりで、ハラハラする毎日だった。それでも、2年になると生徒会を手伝うようになり、演劇部にも入り、学校が楽しくなってきたのか、休むこともほとんどなくなった。昨日、娘の母校の開校10周年式典とパーティがあった。娘が3年のときに保護者の会ができて、ぼくは、その初代の会長を仰せつかった。娘が入学して、この学校が、わが家も娘のことも救ってくれたと思ったから、とにかく学校行事には必ず顔を出そうと心に決めていた。何よりも学校の行事を優先させてスケジュールを立てた。ただ参加するだけなのだが、お父さんは一人もいない。お母さん方の中で、何を話せばいいのか、どう動けばいいのか、さっぱりわからなかったし、居心地も悪かったけれども、これは自分に課したテーマだし、学校への感謝の気持ちだと、尻に鞭を打って出かけたわけだ。そんな中で、保護者の会が立ち上がり、やっぱり会長は男でないとということで、あっさりとぼくに決まった。何でも引き受けるつもりだったから、ありがたく受けさせてもらった。お母さん方がよく働くので、ぼくは入学式と卒業式のあいさつだけが仕事。何もしない会長だった。3年ぶりに高校へ行って、当時の役員の方や先生方と顔を合わせて、懐かしさが込み上げてきた。体育館には、長女と同じような悩み、苦しみを抱えて、今、がんばって学校へ通っている生徒たちがいた。そして、堅苦しい式が終わったあと、第二部では、彼らが、一生懸命に準備をした演劇やダンス、ブラスバンドを披露してくれた。彼らの輝いている姿に、胸がじーんと熱くなった。子どもが生き生きと毎日を暮らしているのを見るのが、親の最高の幸せだと思う。式典に父兄の方々が参加してなかったのだが残念だ。あのころは、ずいぶんと心が揺れた。そんな自分が、すぐそばにいるような気がした。その長女も大学3年生だ。悩みながら苦しみながら迷いながら、一人暮らしを続けている。でも、それでいい。自分の人生をどう生きるか。親は、気にしながら、あいつのことを見ていることにする。