勝手なイメージに縛られないほうがいいね。みんなが幸せになれる
形にとらわれすぎたり、イメージに縛られたり。「あんな奴だとは思わなかった」と、憤慨している人を見かけるが、「あんな奴」というのは、勝手に、自分が作ったイメージを基準に言っていることが多い。恋愛とか、結婚とか、家庭とか、親子とか、仕事とか、だいたい、イメージが先行する。口もきかないという夫婦も少なくないようだが、かつては、ラブラブだったカップルだったはずだ。結婚するときには、ばら色の未来を描いていたのではないだろうか。でも、それはイメージだ。勝手なイメージが崩れたから、あんたには幻滅したわ、お前にはだまされた。そんなことになってしまうわけだ。子どもだってそうだ。わが家も、ぼくや家内のイメージでは、まさか、不登校になるなんてことは、ありえなかった。素直で活発で、そこそこ成績も良くて、友だちもたくさんいて・・・。紋切り型のイメージに毒されてしまっていたわけだ。その勝手なイメージが崩されて、大混乱に陥ってしまった。娘には何も罪はない。彼女は、嫌なことがあって、学校へ行きたくなかっただけのことで、親が、勝手にイメージをもって、そのイメージに縛られていたために、そこから逸脱したことで、あわててしまったという構図なのだ。家庭とはこうだ。夫婦とはこうだ。友だちとはこうだ。その決めつけが大きければ大きいほど、生きるのはしんどくなる。だいたい、イメージ通りに、物事が進むことは少ないのだから。特に、だれかに対して、自分勝手なイメージをもつと、裏切られることになるのがほとんどだと思ったほうがいい。イメージをもつことはいいのだけれども、それにとらわれすぎないことだ。柔軟に、その都度、その都度、イメージを修正していく。その前に、何事も、自分勝手なイメージで、まわりを判断しているということを知ることかな。昔、家内によく言われた。「なんで、あんたなんかと結婚したのだろう」そんなの知らないよ。勝手にあなたがイメージして、期待をして、判断して、決めたんでしょ。こっちには、何の責任もない。あなたの硬い頭が悪いのよ。今なら、そう開き直れる。でも、あのころ、毎日毎日、そう言われていたから、けっこうなダメージだったよな。その家内が、どういう言葉をかければ、人の元気・勇気を引き出せるか、潜在意識の勉強をしている。イメージの殻が柔らかくなって、彼女はとても楽しく生きている。ぼくも、彼女のイメージから脱出することができて、とても楽になった。イメージにしばられなくなると、みんなが幸せになる。