親が子どもを見守るということ
親というのは、自分の器に子どもを押し込めて安心するもの。でも、それでは子どもは窮屈で仕方ない。親になった自分も、かつては親の押し付けてくる器は心地よかっただろうか。親には親の器があり、子どもには子どもの器がある。大きい小さいもあれば、形の違いもある。気持ち良く納まることはない。いいとか悪いではなく、昔から親子関係というのはそういうもの。それを前提に子どもとの関係を考えることだ。ぼくは、子どもが自分の理解を超えることをやろうとしているとき、「娘たちの運命」を信じようと、自分に言い聞かせる。生きるというのは楽しいことばかりではない。平坦な道ばかりではない。苦もあれば悲しみもある。それを含めて、こいつの成長にとって、幸せにとって、すべて必要なことだと、彼女たちの運命を信じる。ずっと親がそばにいられるわけではない。そばにいるからと言って、子どもの安全、平穏な毎日が保証されるわけではない。子どもは子どもの器で成長していく。それを見守るがまんが親には必要だ。