トータルで考えるとつまらない一生になる
競馬が好きで、よく馬券を買っていた時期があった。勝てないときがほとんどだったが、レースの前にスポーツ新聞を買ってきて、どの馬を軸にして買うか決めたり、スタート前の、ドキドキする感じが好きで、大きなレースがある週末は楽しみで仕方なかった。もちろん、予想が当たって、いくばくかの配当金が入れば、なおうれしいに決まっている。しかし、はずれても、競馬好きの仲間と、ああでもないこうでもないと話しているのは、自然に笑顔がこぼれる時間だった。ときどき、「競馬やってトータルで儲かっているのですか? 損をしているのですか?」と聞く無粋な奴がいた。ぼくは言い返した、「お前の人生、トータルして勝っているのか? 負けているのか?」こういうセリフ、寺山修二さんの競馬の本に出てきたのだと思う。東京へ出てきて間もないころ、給料日前にお金が底をついて、なけなしの1万円をもって府中競馬場へ行ったことがある。NHK杯というレースだった。1986年のこと。一番人気はアサヒエンペラーという大きな馬だった。ほとんどの人が、この馬を本命にしていた。ぼくも、馬券をはずすわけにはいかないから、本命はアサヒエンペラーだった。ところが、パドックを見に行くと、アサヒエンペラーが出てこない。どうしたんだろうと思っていると、ほか馬から遅れて姿を現した。そのときに、「この馬はこない」という直感があった。どういう理由だったか忘れたが、ラグビーボールとシンチェストという関西からきた馬を買った。当時は、関西馬は弱かったが、ぼくも西から来た人間だし、関西馬を応援していたというのもあったと思う。ゴール前はよく覚えている。ぼくが買った2頭が、絵に描いたように抜け出してきて、一着二着。歓喜の声を上げた。配当は1990円。19・9倍だった。5000円買っていたから、10万円弱が入ったのだ。40年近く前のことを、今でも夢中になって話せる。トータルしないからだ。あくまでも、あの状況の中で出あったエキサイトシーンなわけで、それまで100万円損をしているから、これで90万円の損になるという、そういう安ぽいものではないのだ。生きるということもそうだ。50歳まで悲惨なことばかりが起こったとしよう。でも、51歳のときに、ものすごくうれしいことがあった。そんなとき、これまでの人生とトータルして、あんなにマイナスだったのだから、こんなちっぽけなことに喜んでいられないと考えるなら、ああ、寂しい人だなと、ぼくは同情する。これまでの人生、どんなに負けていても、そんなの関係ない。瞬間を喜べばいい。数字にできない宝物を、ぼくたちはいつももらっている。トータルでは語れないし、語る必要もない。ぼくはそう思う。