人工音のない生活
田舎に住んで思うのは、人工の音が少ないこと。家にいるときには、車の音もほとんどないし、たまに村内放送が流れるくらいのことで、あとは、ヒーリングミュージックやテレビの音、洗濯機、掃除機、換気扇といったくらい。風の音だったり、ヤギやニワトリの鳴き声だったり、近くの小学校で子どもたちが遊ぶ声だったり、家族のしゃべり声が、耳に入る音の大半だ。朝と夕方はドラム缶や、去年作ったロケットストーブでたき火をする。このごろ、ヤギたちの朝ごはんは、裏やぶで切ってきた竹。あいつらは竹の葉を喜んで食べる。葉を食べ終わったら、枝を払って、茎も一緒にドラム缶で燃やすのだが、竹がはぜて爆発音がする。突然の大きな音でびっくりするので、このごろはのこぎりで切り込みを入れてドラム缶に投入している。あれも田舎ならでは音だ。竹がはぜる音で鬼を追い出すというお祭りがある地方もあるそうだ。竹を燃やして、パンパンと爆発させれば、たぶん、クマだって近づかないと思う。一つひとつの音に情緒がある。それが田舎の良さかな。今思い出せば、東京は音の洪水だった。今でも月に一、二度は行くけれども、新宿駅のホームに降りると、異様な世界に感じる。気持ちがどんどん急かされる。ほっとする間を与えてくれない。若いときには、騒音も満員電車もエネルギーのもとになっていた気がするけれども、今はああいう音環境はしんどくてたまらない。今日は天気も良くて、ポカポカ陽気で気持ちいい。ぼんやりとヤギたちを見てるうちに、午前が終わってしまった。おかげさまでいい生活をしている。