恐怖心や不安はイメージが生み出す
心配とは不安は、イメージが作り出す。たとえば、がんと診断されたら死ぬかもしれない。南海トラフ地震が来たら、がれきに埋まってしまうかもしれない。津波に飲み込まれてしまうかもしれない。がんと診断されても、昨日と同じように元気でいるわけだし、死ぬと決まったわけではない。実際には南海トラフ地震もくるかどうかわからない。だけど、ネガティブなことは簡単にイメージしてしまう。ポジティブなことは、イメージするのがけっこう難しい。ぼくたちは、ネガティブなことをイメージすることを学習してきている。子どものときから、最悪を考えて行動するよう教えられている部分がある。ポジティブだと、能天気と馬鹿にされたり、甘いと責められたㇼ、現実的ではないと非難されたりしてきた。たとえば、ぼくのような田舎者が東京に出るときには、「都会は生き馬の目を抜くようなところだ」と忠告される。人を信じるなと教えられるのだ。18歳の世間知らずの田舎者は、都会生活の期待もあるけれども、それ以上にびくびくしながら新幹線や飛行機に乗るわけだ。特に親に言われたことは、強烈に脳にインプットされる。都会は怖いところという恐怖心は、いつまでもとれない。いいこと、楽しいことがいっぱいあっても、一度、だまされたり裏切られたりすると、「やっぱり」ということになる。人間関係がうまくいかなかったりする。そんなふうに、ぼくたちの脳は、ネガティブなことをイメージするように作り変えられ、現実には起こってもないことに恐怖や不安を感じてしまう。ぼくは、人一倍臆病者だから、世の中、怖い物だらけ。「どうしてだろう?」と考えるうち、イメージによるものという答えが出てきた。まだ67歳で元気にやっているのに、80歳になって体が不自由になったらと考える必要などない。どうにか生活できるだけの経済力はあるのだから、お金がなくなったらと考える必要もない。転ばぬ先の杖を用意するよりも、転んだら立ち上がってやるという気概が必要だ。そうじゃないと、人生はつまらなくなる。