午前4時のランニング~おじさんの笑顔とハイタッチ
4時過ぎのランニングがやっと再開できました。交通事故のあと、長時間を要していた膝のストレッチが短縮できるようになったからです。この数年、家を出る時刻が7時前になっていました。走るコースでは、いつも、おじいさんに出会います。。足の悪い方です。暗闇でその姿を見つけた時、真っ先に父の顔が思い浮かびました。父も、私が物心ついた時からずっとびっこを引いています。あえて「びっこ」という言葉を使うのは、それを特別に意識したことが一度もなかったからです。父はもとは大工です。高等小学校を卒業後、祖父のあとを継ぎました。重い柱も一人で担ぎます。家が一軒立ち上がるまで、一人で黙々と仕事をすることがほとんどでした。父を、あるいは大工という仕事を、大学生になったころの私は恥ずかしいと思っていたのです。私の知る周りの学生のお父さんといえば、公務員や一流企業の社員、あるいは医者や教授。聞かれても、建築関係の仕事と言うのが精いっぱいでした。けれども、今は、父を誇りに思っています。びっこを引きながらの仕事は、毎晩、腰痛の戦いだったようです。私の記憶の中ではただの遊び感覚で、子供たちが代わる代わる腰を踏む毎日でした。仕事の愚痴はこぼしても、体のことは愚痴らなかった。近所の友達には、「過保護だ。箱入り娘だ。」と言われるくらい、と娘三人を守ることが父の生きがいでもあったようです。働ける元気な体を持っていても、生活保護に頼ろうとする人たちがいる世の中で、身体障害者としての福祉を受けることさえ拒否して働き続けた意志の強い父を、今は尊敬しています。今、私がしっかりと大地に足を着けて生きていけるのは、父の後ろ姿を見て育ったからです。私自身、福祉を受けることのできる障害はあります。それを受けていれば助かったのに・・と思うような場面に遭遇したこともありました。けれども、甘えていたら、きっと今まで頑張ってこれなかっただろうなとも思います。自分に進める力がある以上、自分の力で進みたい・・「元気?」で始まって、「がんばって」でハイタッチ、若いはずの私が、父と同じ年恰好のおじいさんに優しい言葉と笑顔をいただいて、一日の原動力にしています。10月がくれば、父も86歳です。最近、びっこの原因は、赤ん坊のときの股関節脱臼によるものだとわかったそうです。今年になって急に痛みもひどくなったようです。それでも畑仕事に出かけます。ジャガイモをくれるというので、自転車で畑まで行くと言っても、「危ないから、来なくていい。」と言います。手術という選択もあるらしいけれど、高齢のリスクを考えると、やめたほうが・・と言ってしまいました。離れているから、毎日、足をマッサージしてあげることさえできません。その悲しさとつらさと同じくらい、父もまた、自分が娘にしてやれることがなくなっていくことの悲しさとつらさと寂しさを感じているのかもしれないと思うと、気を引き締めて涙を呑みます。にほんブログ村