コロナ遭遇が必然的である理由〜日テレが幽霊病床リスト入手で暴かれ始めたお金に絡むコロナ医療逼迫の謎
コロナ感染対応のほとんどが、大金が誰の手に渡るかで動いている。日テレが入手したという幽霊病床リストの存在もそうだ。ちゃっかり補助金だけは受け取っているが、億単位のお金だ。いったい、何病床あるんだという話だ。パソナの人材派遣に始まって、緊急事態宣言中のオリンピックなど色々不思議なのは、不要と思われる緊急事態宣言の間に感染数を増やす何かが行われて行くことだ。次の緊急事態宣言が出たら、ワクチンパスポートを条件に行動緩和するというが、一番は、海外からの入国者もワクチンパスポートを考慮することだ。経済界=大企業の要望だ。対応できない中小企業も飲食店も、おそらく置き去りなのだろう。私は学生時代、政治経済の勉強は苦手だったから、理系に進んだ。けれども、コロナに関連して新聞記事を隅々までよむようになって、漸く、政治経済の仕組みがわかってきた。その中で気づいた疑問と矛盾がいっぱいあった。少しずつ分かり始めている。政治家にとって必要なお金は大金だ。資本主義経済にとっても同じだ。大金を生み出す企業を優遇することで支持を仰ぎ、見返りとして大金が入る。正当な形で税金として入ったところで、日本経済が潤えば、公務員全般の給料にも、福祉のための費用にもなるのだ。一見、何の問題もないように見える。けれども、その後ろに社会から葬られていく人々が必ず居る。コロナの療養死もそうだ。すべての人が同じ医療を受けているわけではない。療養死の裏で、軽症であっても手厚い医療を受けることのできる人が必ず存在する。私は、今まで、この偏った資本主義を民主主義だと勘違いしていた。嫌いな政治経済の勉強を拒んで知ろうとしなかったからだ。知ることから、すべてが始まっていく。コロナ禍は、私にとって「知ること」「考えること」「工夫すること」をおしえてくれた。政治経済の知識が全く無くて、興味すらなかった私に勉強の機会を与えてくれた。それこそが、コロナに遭遇している理由かもしれない。 にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活