柔道の国際性と中央アジア
連日、テレビはパリ五輪を放送している。それを見ながら、オリンピック競技の国際性とローカリテイについて考えた。競技選びにはいろいろな基準がありその詳細について知る由もないが、大まかな推測は付く。それは新規参入と退出競技についてである。新規競技はX競技のように新しいスポーツで米欧日などで人気があるものが選ばれるのはわかりやすい。問題は退出競技だ。競技数全体では増えているとはいえ、今後も新規競技が増えることを考えれば青天井というわけには行かないだろう。野球が東京やロスアンゼルスの時だけなのに対して、ホッケーが定番競技なのは競技人口や地域的広がりに圧倒的な差があるからだろう。ここでは、柔道の地域的広がりへの貢献について考えてみたい。まず柔道が国際的と断言できるのはフランスのおかげである。今や柔道の実質的中心地はフランスだと思う。パリの街を歩けばそこここに柔道の道場が目に入るが、東京では見たことない。日本は学校でやるというとの反論もあろうが、あれは自学生だけの閉鎖空間でしかない。しかも、競技人口はフランスの方が多いのであり、オリンピック団体戦でもフランスが金だから、議論の余地はない。柔道に必要なのは、あとは地域的広がりだ。ここで注目したいのが中央アジア諸国である。私は柔道の試合ではモンゴル選手にも注目しているが、東京五輪からは中央アジア選手の活躍も見ている。まだ五輪期間途中であるが、モンゴルにカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンを加えた獲得メダル総数11個のうち柔道は8個である。しかもカザフスタン以外はすべて柔道のメダルなのだ。私はモンゴルと中央アジアの活躍には2つの意味があると思う。1つは、柔道の国際性の証明である。日仏で人気がある程度では、日米で人気の野球とかわからない。遠く離れた中央アジアからも多くのメダリストが出てくるほど、そこでは柔道が普及していると言える。これは地域的な広がりとしての国際性があると言えるのではないか。もう1つは、中央アジア諸国のオリンピックへの参加意欲である。国民にとっても、ただ参加するだけで勝てる競技が一つもないのでは興味もわかない。ジョージアなどのコーカサス地方を含めて、ユーラシア内部には多種多様な格闘技があり、強い格闘技選手は多くいる。だが、それぞれ地域に根差した格闘技種目ではオリンピック競技にはなれない。良い例が元横綱白鵬のお父さんのムンフバトだ。彼はモンゴル相撲ブフの大横綱だったが、いくら強くてもブフではオリンピックには出られない。なので彼はレスリングで1964年の東京オリンピックからなんと5回も連続出場し、メキシコオリンピックでは銀メダルを獲得したのだ。彼はは当時まだ社会主義体制であったモンゴル初のオリンピックメダリストとなった。このように、中央アジアやコーカサスで伝統的な格闘技で強い選手らには、レスリングや柔道はオリンピックで活躍できる貴重な競技種目なのだと思う。柔道がこれらの地域への広がりによってその国際性が証明されるのと同時に、これらの地域の格闘技選手にレスリング以外のオプションを与えたという意味では大きな貢献をしているのではないかと思う。それにしても白鵬のお父さんはすごい。大横綱の大鵬といえども、現役横綱のままレスリングでオリンピックで勝てただろうか。そう考えると驚くべき順応力だ。しかも最初に出た東京オリンピックでは、出場の数か月前に出るように言われたそうで、レスリングのルールを覚えるのに必死だったそうだ。その息子の白鵬が強いのは納得である。