風と共に去りぬ 。。。
にほんブログ村 不朽の名作映画に必ずあげられるのが、風と共に去りぬ。 『風と共に去りぬ』( 原題: Gone with the Wind )は1939年に製作され、 主演はヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル。日本での初公開は戦後の1952年 となりました。 1936年6月に出版されたマーガレット・ミッチエルの< 風と共に去りぬ >が 世界的に大ヒットし、3年の歳月と当時の金額で390万ドルの製作費をかけて制作 された、全編で3時間42分という大長編映画。 1940年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、 助演女優賞(ハティ・マクダニエル・黒人俳優初)、脚色賞ほか特別賞を含め 9部門を受賞しました。 勝気な女性スカーレットを美しいビビアン・リーが好演していますが、 彼女の最後のセリフが皇子は好きです。 「After all, tomorrow is another day.(結局、明日は別の日 なのだから)」 従来はこれを「明日は明日の風が吹く」と訳すことが多かった のですが、最近ではより原文に近い「明日という日がある」と、訳される ことが多くなりました。 tomorrow is another day とは、 明日になればまた状況も変わってくる。だったらくよくよ先のことを思い わずらっても仕方がないよね。と楽観的にいう語。 今日がどんなに辛くても、時が過ぎればそれもまた過去となり、未来は良い方向に 進むものだ。今日は今日、明日は明日。同じ日がくるはずがないと、前向きな 言葉と皇子は捉えます。 一方、ケセラセラ なるようにしかならない、と同義語とする解釈も あります。「Que Será, Será」は「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味のスペイン語だとされることもありますが、実際は スペイン語の文としては非文法的で、スペインでも用いられた例はないそうです。 ケセラセラ (Que Sera, Sera) は、ドリス・デイの1956年の楽 曲。 同年のヒッチコック監督映画『知りすぎていた男』の主題歌で、主演 女優で歌手でもあるドリス・デイが歌いました。 ケセラセラは、どうせなるようにしかならないのだからという、諦念的な言葉と 思われがちです。人間には生まれもった定めというか、運命というのがあるの かもしれません。過去・現在そして未来の事象は決まった流れの中にあり、人間は その流れの中でただもがいているだけなのだと。 しかし、そのような人生であれば、 自分の意思こそが物事に意味を与える ものなのではないでしょうか?どうせ定まっていて変えられないものなら、 自分の 信念こそが自分の世界における時間であり、物事だったりすると言えると 思います。 だから過ぎたことも先のこともくよくよ考えないで、己の信じるところを突き進む 前向きな気持ちであれば、そう信じたように世界は見えてくるのです。明日は 明日の風が吹くのではなく、明日は私の風が吹くという気持ちが、自分の 人生に希望をもたせるのではないでしょうか?! ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村