いつか必ず芽の出る球根。
娘が経験した初めての夏は猛暑だったけれど、2度目の夏は冷夏だった。その夏になんとかおむつをはずしてやろうと、チャレンジ開始。おむつはずし関連の本を書店で数冊立ち読みし、その中でこれはと思うものを購入。計画を立てる。おむつはずしのタイミングの決め手は、尿意を何らかの言葉で伝えられるようになっていること。まずは小さなパンツをたくさん用意。実はこれが一番大変だった。小さなサイズのパンツなんて、ほとんど売られていなかったから。パンツじゃなくてブルマやオーバーパンツならあった。お値段は張るが、老舗の高級子供服店のオリジナルにかろうじて、下着として直接肌に触れることを前提とした小さなサイズのパンツを見つけることが出来た。1週間ほど、おもらしには目をつぶってパンツ着用。もちろん外出時はおむつ着用で緊急時に備える。おもらしのたびに、「ちっちが出た」と教える。言葉では伝えられないからだの感覚を、この小さな人にどうやって伝えればいいんだろう?娘のおしっこのサイクルをつかんだら、頃合を見計らってオマルに乗せる。家庭用の便器に乗せられるタラップ付きの台を見つけ、オマルではなく、直に便器に座らせる方法も試みた。朝の寝起きに連れていくと、寝ている間に尿が溜まっているから、成功しやすい。と、本には書いてある。娘の場合は、どういう訳か2回くらいしか成功しなかった。神経芽細胞スクリーニングテストのときも、夜の間に一度も排尿しなかったので、なかなか検体が採取出来ず困った。どこまでも「溜めて出すタイプ」を貫いていたようだ。だから、おねしょをしたのも、1回だけ。そこのところは楽だった。成功するたびに、「ちっち随分溜まっていたねえ」と声をかける。こういうやり方で、本当に伝わるのか半信半疑。そういう日が2週間ほど続いたある日、入浴前に座らせてみると、排尿。そのときに、娘の下腹に力が入っていた。そして、「ねえ、こういう感覚のこと?」と言わんばかりの表情をして私の顔をじっと見た。うんうんとうなずくと、娘の顔がぱっと輝いた。このとき、「おしっこを出す」感覚だけは通じたのだと私は理解していたが、違った。翌日から、ちゃんと「ちっち」と教え、トイレに連れて行くたびに成功。たまった感じと、出すことを一挙に会得したらしい。お友だちの家に遊びに行ったとき、遊びに夢中になり過ぎたのか失敗してしまったら、元に逆戻り。本当におむつがはずれたのは秋になってからだった。逆戻りで苦労していた頃、保健師さんに相談する機会があった。「今年は冷夏だから、冷えて間に合わなくなっちゃったのかしらねえ」とのアドバイス。「気長に様子を見てあげてね。 一度はちゃんと出来るようになったんだから」冷えて間に合わない、か。ちょっと違うような気もした。公園でのお友だちの中には、おむつはずしに成功した子が何人かいて、一緒にトイレに入って見せてもらったりした。「こうやっておしっこするんですよ~」と友だちのお母さまに声をかけてもらったりして。まだまだおむつをしているお友だちもいれば、そうではないお友だちもいる。そんなあれこれを観察しながら、一度会得した感覚を少しずつ、確実に自分のものにしていったんだろうな。小さな人の内での逡巡については、誰にもわからない。わからないけれど、いつか必ず芽が出て花が咲く。「子どもはいつか必ず芽の出る球根みたいなもの」バレエの先生がおっしゃっていた言葉を、今になって娘との思い出の日々とともに反芻する。おとなに出来るのは、「いつか必ず」と見守りながら、一緒に暮らしていくことなんだろうなあ。