自己効力感。
2年にわたり関わった地元の次世代育成支援行動計画後期行動計画策定でのかなり通好みなヒット企画が「青少年の居場所と自立支援のあり方検討」。「あり方を検討」ってところが、かなり情けないけれど、それでも、地元的にはヒットなの。で、お約束どおりの検討委員会がスタートした。自分が関わったことのフォローアップというのも、自分自身に課した懸案事項であるので、早速傍聴に出かける。傍聴の前に、友人に会いに行き、かなり膨らんだおなかを、念を込めてさする。「あり方を検討」する委員会には、この春から若者の自立支援プロジェクトをスタートさせた知人が参加。もちろん、次世代……の策定も一緒に行った。委員会のメンバーは、一応、この件に関して地元では必要不可欠と思われるメンバーが招集され、なおかつ、学識経験者として招集された諸先生方も、かなり期待出来る人材(失礼!)で、行政側のメンバーも、地元自治体の問題意識をそのまま反映させるような陣容。娘の母校の校長先生だった方まで、ご参加というオマケつき。初回ゆえ、お互いの自己紹介と、課題に対する、それぞれの立場からの意見交換がメイン。最も強烈だったのは、地元における若者世代の失業率が、全国平均よりもかなり劣っており、しかも高齢者よりも劣っているということから出された意見。若い故にアルバイト先、派遣先、請負先に事欠かず、食べることにも困らず、遊ぶお金は手に入れられる。高校生ですら、アルバイトで小銭を稼げる。こうした現実は、大人社会がさまざまなことを子どもたちから搾取して、潤っているということに他ならない。これは確かに東京ならではの問題点かなあと痛感。でも、さ。一応義務教育の中で、労働基準法など、社会人になっても困らないための法律的基礎知識くらいは学ばせているはずなんじゃないの?>義務教育=文部科学省。正規雇用でなければ、現時点でこの国では得られない権利、社会保険制度の基礎的な知識などなど、アルバイトに従事出来るようになる年齢に達する前に身につけておくべき知識ってもんがあるだろう?でも、現実は、そうなっていない。そうなっていないからこそ、非正規雇用でよしとする若者たちが大量生産?されている。ここにも、子どもたちの現実と、大人たちが個々に好き勝手描いているイメージとのギャップがある。会議が終わって、さまざまな方にご挨拶。で、知人とミスドで意見交換。ふふふ、次世代……の会議で再会したときも、このミスドで延々語り合いましたよね、私たち。生活環境がかなり劣悪な地域で教育プログラムなどの改善で子どもたちに希望を与えたアメリカ某地区の小学校の先生が言っていた。「その子どもが必要としていることを教えるのが 学校の役割」ま、ここは日本で、国が違うけれど。こんなところでも、人間観、教育観などの彼我の違いを痛感。昨晩、湯浅誠さんがご参加の討論会のようなものがあり、そこに聴衆の一人として参加していた茂木健一郎さんのツイッターの数々がすごかった。そんなことのあった翌日だけに、さらに迫って来ることがある。いいのか? にっぽん。と腹を立てつつ帰宅。娘が帰宅した後に届いた速達は、AOの書類審査通過(ということは、次は受験料払っての本試験)の通知と関連書類だった。やっぱり、自己肯定感だけじゃなく、自己効力感も大事よね?つまり、Yes,I can!ってその子どもが心から言えるような状況をつくりだすこと。