“何もやりたくない病”。
今日で11月も終わりだ。長かったような短かったような。デスク周りに溜まった書類を片付ける。足元の布袋にまとめておいた書類の束から、探そうと思っていた書類が見つかる。よかった。明日の会議に持って行こう。このところお疲れ気味なのか気力が続かない。二日おきに“何もやりたくない病”に襲われる。月曜日なんて、返事が必要なメールが溜まっているのに何時間もPCの前に座ることさえ出来なかった。どうも妹に電話であれこれ言われたことがずしんと胸に響いているみたいだ。昨日の夜の会合のあと、仲間と渋谷駅まで20分ほど歩きながら話をしていた。話が盛り上がるに連れてずんずん歩みが速くなり、若い人たちを遥かに引き離してしまい、交差点に差し掛かるたび、しばし歩みを止めて待たねばならないくらい。被災地支援で3日間疲労困憊している方々のそばにいたら、帰京後にどっとくたびれてしまった、と友人が打ち明ける。そうなの、疲労困憊している人のそばに寄り添うと知らないうちに、こちらも疲労困憊して来るのよ。とても弱った病人を見舞ったあとにも、同じことが起こる。だから、なるべくその場に留まり続けること無く、次々と応援部隊を送り込んで、交代させたほうがいい。現地で疲労困憊している方々には休養が必要で、出来ることなら、全く違う部署に異動させるくらいの配慮が必要なのだと、妹の弁。そう、おとといの日記に書いた「幻滅期」からの救済方法がそれなんだ、と。そんなこと言ってもねえ。明日、明後日と会議が続く。年末の大きな仕事と、来年度に向けて始まる仕事。気持ちを切り替えて頑張って行かないといけないのだよ。いくら「幻滅期」であろうが、“何もやりたくない病”で沈殿状態になっている訳にはいかない。母の入院は、考えようによっては良い気分転換になるかもしれない。久しぶりに西方面に出かけて行くことになる訳だし。いろいろなことにチャレンジしてみてわかったことがある。顔の見える相手と仕事をしたいということ。最初から最後まで顔の見えない相手とはもう仕事はしたくない。「次」はないと思っているが、万一オファーがあっても断ろう。「まず、会うことを考えなさい」そうよね。大先輩のおっしゃる通りだったわ、このたびも。会う努力をしなくてはいけないのに、会うことができないというのは、やはり上手く行かない。