サバイバル。
週末のイベントに向けて、事情で参加出来ないメンバーの代わりに、彼女が某区民施設に預けた荷物を取りに。まあ、そのときの顛末は、なじみのその施設に足しげく通った中ではいつもの5倍くらい楽しいハプニングの連続だったのだけれど、本筋とはかけ離れてしまうので、今日のところは置いていて……。その後も会議があるため、荷物を取りに行ったメンバーだけで夕飯を食べに行く。なじみの施設への訪問を、いつもの5倍楽しくさせてくれたSさんがアフリカはルワンダに因んだ映画を立て続けに見たと話し始める。「ホテル・ルワンダもよかったけれど、 ルワンダの涙に、とても感激したの」ツチ族とフツ族の民族間の紛争は、どちらかが最後のひとりまで殺し尽くされなければ終わらないかに見えた。事態を救済しようとイギリスから青年がやって来る。が、ジェノサイドの嵐を止められず、外国人退去の最後の車が出発する時間が迫ってきていた。青年と同じような志を抱いて、かの地で布教活動をしていた神父も青年と同じ車に乗る予定だったが、ぎりぎりのところで、急に啓示に打たれたかのようになり、こう叫ぶ。「私はここに留まる。 ここが私の居場所だ!」その表情は、とても柔和で輝いていた。「多分、その神父さまは、 そのあと殺されたと思うんだけれど、 何かを悟ったんだと思うのね」その話を聞きながら、私は「闇の子供たち」を思い出す。小説版のラストは、人身売買を食い止めるために活動する現地NGOのスタッフである日本人女性が、「君は日本人だ。日本へ帰ろう!」と促す日本人記者に毅然とした態度で、ルワンダの涙の神父さまと同じ返答を返すのだ。「ここが私の居場所です!」Sさんも、そしてもうひとりのメンバーJさんも「闇の子供たち」のことは知っていた。ただし、二人とも映画も見ていないし、小説も読んではいない。映画よりも小説を勧めつつ、かいつまんで両者の違いを説明する。「それにしても日本は平和よねえ」確かに、ね。「世界中で紛争のないところって 日本ぐらいなんでしょ?」その平和がもたらされた大本のところを考えると結構、厳しい現実にぶち当たるよね。ほら、と、普天間の話をする。で、何だかいつの間にか、「別にいなくてもいいよね」「うん、大丈夫だと思う」「ボタンひとつで地球が壊れちゃうような平気が いくつも発射されちゃうのよ。 もし戦争になったらどうしよう、なんて考えてる暇もないの」「そうそう、 だから別にいてもいなくても変わらないわよ」最後には「いらない」の合唱になり、なんだか苦笑してしまう。夜、ワンコの散歩のときに、夫に「いらない」の合唱の話をしてみる。「そうなんだ。僕にはそこまで思い切れないよ」でしょ?女性だけが仕切る国になってたら、多分、思い切っちゃうんだと思ったの。「そうかもしれないけど」夫はちょっと不満そうで、最後は言いよどんでいた。さすがに、「いらない」のあとの会話は話さなかった。どんな会話かって?こんな会話だよ。生き残れるのは、強い種ではなくて、環境に順応して変わって行ける種のほうだというでしょ?三人が三人とも、この説をちゃんと知っていて、頷き合ったのだった。