決して未曾有の出来事ではない。
子どもが生まれる数がどんどん減って、国の人口そのものも減っていく。確実に忍び寄るこの現象は、果たして日本人が初めて経験する現象だろうか?否。江戸末期には、人口が増えない停滞期が訪れていた。今どき、土地の値段は上がるばかりで下がることはないなんてことを言う人はいないと思うけれど、バブルの頃は、「下がることはない」とみんな信じ切っていた。信じ切っていたからこそ、固定資産税の重圧に耐えかねて、都心にまとまった不動産を抱えていた人たちは我先にと地上げをし、立て替えのために多額の借金を決意したりした。不動産投資には、銀行は融資査定をかなり甘くして、どんどんお金を貸し出してもいたし。そんな訳で不良債権も増えてしまったのだけれど。バブルの土地高騰の前にも、不動産ブームはあった。ブームはいずれ収束する。地価も下がり、固定資産税も下がる。歴史は繰り返される。全く同じ状況で繰り返されることはなくとも、そこから学ぶことはできるはず。後悔しないためにも、前進するための手がかりぐらいは得られるだろう。そのためにも、近視眼的に今起きていることを眺めるのではなく、もう少し高いところから眺めてみたい。人口減少について話を戻せば、人口が増え続けることができるのは、それだけの人口増を、その時代のシステムで十分に支えられるからなのだと経済学者は言う。ちょっと大きすぎる話で、歴史の教科書でも読んでいるような気持ちになる。私には関係ないもん、と放り出しても構わないかな……。しかし、と頭を巡らせば、そうか、何がどうなっているのか、詳しくはまだよく分からないけれど、生まれてくる子どもの数が減り人口が減っていくということは、今現在のシステムでは、現在の規模の人口を支えられなくなって来ているということなんだな。長い歴史の中で俯瞰してみれば、いろいろなところで変化が生じている時期。その変化には、マイナスだけではなく、プラスのものもあるはずだ。なんとなくだけれど、さらなる理解を進めるために想像してみる。わが子を病院に連れていくために何度か、通勤ラッシュの時間帯に地下鉄に乗り、霞ヶ関方面へ出かけた。学齢期の子どもなんて他にはいない。みんな社会人ばかり。霞ヶ関方面はおとなたちが仕事をするために出かけていく地域なのだから当たり前と言えば当たり前だけれど、あの光景が、日常になっていくのかな。子どもには辛い世の中になりそうだね。ますます目が行き届いて、通勤列車さながらに、おとなたちの波に押しつぶされたりしないかな。ただでさえ、子ども受難の時代だって感じているのに、この先が気がかりだなあ。一方で、バリアフリーが叫ばれ、高齢者や障碍者、小さな子どもが暮らしやすいようなまちづくりが進められている。これは、この先を見越した動きだ。こちらのことについては、海外でのお手本もたくさんある。少しずつではあるけれど、教科書的な話が身近なものに感じられてくる。我が身を振り返り、身の丈にあった処し方を考えてみようか。ひとりひとりが、人口減少期の行く末について自分に出来ることを考える。手をつなぎ、誰かと一緒に考える。人に押し付けるのではなく、自分たちが出来ることから始める。今は21世紀。19世紀末に乗り越えたことを、再び乗り越えるとしても、同じ方法ではなく、新しい方法で乗り越えたい。小さな小さな存在の私ではあるけれど、そんなことを考える。