いつか母を踏んづける日。
成長ホルモン治療を始めるにあたって、娘の覚悟は、例えばこんな言葉で言い表わされた。「お母さんより大きくなって、 お母さんを踏んづけてやる!」現在、足のサイズは私のサイズをはるかに超えているので、踏んづけるだけだったら確かに出来そうだ。ただし、なかなか私の身長を超えるところにまでは到達しない。注射を始めたばかりの頃は、1週間の注射ローテーションの中に私も参加していた。打てる場所はお腹とおしり(左右)、太もも(左右)の5カ所。お腹に針を刺すのは怖いので、お腹は除外された。おしりは自分では打てないから、おしり担当が私だった。注射による治療を始めますと宣告された日、娘は帰りの電車の中で、幾度も針を刺す仕草をしていた。頭の中でシミュレーションしてみたんだろう。それでも、現実に自分で注射針を刺すことになったときは、本当に恐ろしかっただろうなあ。おしりの肉は柔らかいので、刺すときよりも抜くときのほうが痛い。それに、自分で打つ訳ではないし、後ろ向きで見えないから突然針の感触がやってくる。それは、自分で打つよりも納得し難く、また怖いことだったらしい。「お母さんは下手くそだ」と私が打つたびに難くせをつけられ、数回打った後にお役御免にされた。1週間のうち1日はお休み出来ることになっていて、これもまた長く続けるための工夫のひとつ。「週末をお休みにするといいよ。 それから、数日の旅行ならお休みにしてもいいでしょう」もちろん、風邪で発熱しているときなどは当然注射も一時中止だ。「そういう状態で無理をしても、効きっこないと僕は思うんだよ」少しでも負担を軽くするためにいろいろ考えてみて、と主治医は教えてくださった。3カ月に一度は、経過観察のために血液と尿を採取して検査をする。また、半年に一度は手の骨のレントゲン撮影を行ない、骨年齢を見て行く。実際の年齢と、骨の成長=骨年齢とには差があって、始めた頃は数年の隔たりがあった。隔たりがあれば、それだけまだ骨の成長する余地が残されている。第二次性徴に伴い女性ホルモンの分泌が盛んになってくると、骨の成長は速まり、実年齢により近づいて行く。「初潮を迎えると、女性の身長の伸びは5センチくらいで止まります」そう言われて、「私は初潮後も10数センチ伸びましたけれど」と応えたら、「それは例外」と笑顔で返された。げげっ、私ったら背の伸びでも例外なの?母としては、ちょっとショック。でも、なるほどなあ。「私の時はこれこれだったから、あなたもきっとそうよ」と言われて、本当にそうだったことがいくつある?大抵は当てはまらなかったよなあ。わが子と言えども、自分と一緒にしちゃいけない。むしろ、「私の時にはこんな感じだったんだ」と参考資料の提示程度にとどめておいたほうがいいんだ。一年に10センチ以上も伸びて、会う人がみんな「大きくなったね」と言ってくださる。それも娘にとっては、よい励ましになる。いつになったら私は踏んづけられるのか、それはまだわからない。