秋愁(こころを鳴らすもの)
山の紅葉も盛りの頃を過ぎて、ようよう山も静かになる。寺や神社、京都なら嵐山からあだし野辺りもそう。そうした頃になると、「どこへ出かけていっても、寂しい感じがする。。。」などと、つぶやく御仁もいるのでしょう。何をわざわざ、さみしい時期に、、、と素直に思います。とはいえど、それはそれ。そうした時期にこそ、心の奥底にぞ、映る何かを感じに山や川などを眺めているのかもしれず。さびれた映画館という言葉があるけれど、暗い映画もあるし、怖い映画もある。古い映画や人気のない映画もあるけれど、そんなのさみしくない。当たり前だけれども、映画の上映されない映画館こそがもっともさみしい。はっきり、廃墟だろう。人の深さや、情感というものもまた、いろいろな経験が、楽しかったことが、うれしかったり、泣いたり、笑ったり、苦労したことだったり、苦しんでやっと成し遂げたこととか、走馬灯のように、思い出劇場のめくりめくシーンがある。秋の愁いは、人恋しさのきゅんきゅんと鳴る、求める気持ちの裏返し。もし思い出のあるならば、寂しからず。もし思いでのあるならば、それは自分だけの映画シーン。秋の終り、冬のはじまりは、そんな季節なのかもしれませんねえ。冬眠のまえ、無意識に夢のチョイスをするのかも。ながい、ながい、冬の記憶があるから。。。秋愁(こころを鳴らすもの)は、真の宝物。それはわたしだけのもの。そして、あなたにもそうであって欲しいなと思う。紅葉の最後の赤に、面影を重ねる。。。記:とらのこども とはいえど、ことばはなべて 届かざりき 追憶に揺れ やがて沈みき あだし野に すわるほとけの 夢千里 えにしありけむ 中の島橋