深い、深い、深いはなし
まず、お断りします。以下に書くことは、世上の学説、論文などに基づきません。思考のどうどう巡りであって、まったくのカン違いかも知れません。類似の考えをどこかで聞いて、澱のように脳のそこに溜まっている。そんな、お話しです。さて、本題。まずは、原子の話しから。原子構造は、学校で習った。まず原子とは何か。「物質を構成している最小の粒子」が原子。原子の直径は、だいたい1億分の1センチメートル。最小粒子であるはずの原子だが、最小単位ではない。陽子と中性子からなる原子核の周りを、電子がいくつか回っている。そのセットを原子という。陽子と電子の数は同じだ。それで、電子の数と陽子の数を原子番号といい、まず原子番号1番の水素には電子が1個、陽子が1個。続けて、原子番号と周期別にどんどんある。大まかには10種類、細分化すると、6000種以上だそうだ。***************************************************************************解説 : 原子出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索原子(げんし、Atom)は物質の最小構成単位である粒子。現在発見されているものだけでも約3000種類存在し、数え方によっては約6000種類に達する。しかしながら、電子の数(陽子の数)が等しいものを同じ原子と考えると、約110種類の元素にまとまる。個々の原子はほぼ球状であり、半径は10-8cm程度、質量は種類によって異なるが、10-24~10-22gである。分子は複数の原子が化学結合によって結びついたものである。種類は少ないものの1個の原子から成り立っている分子(単原子分子)も存在する。***************************************************************************また、ウィキペディア(Wikipedia)は、原子の構造を、原子は硬い球体というよりも惑星系に例えている。原子核の半径は原子の半径の約10万分の1。原子核と電子の間には真空が広がっている。ところで、原子核の構造は今も未解明である。ここからは想像だが、おそらくはその粒子は、鉄球のようなひとつの固まりではなく、さらに小さい宇宙のような構造になっているのではないか。陽子なり、中性子という素粒子は、ちょうど宇宙ひとつ分の構造であって、その中に無数の銀河があって、その銀河たちは重なり合い、適当に分布して、個々の太陽系のようになっているのではないか。そして、この関係は、超微小な世界から久遠の宇宙の世界まで、そしてその先の世界へまで、無限に続く関係のように思う。次は、分子・細胞の話しをしたい。太陽と惑星、原子核と電子の関係が、原子構造なり、惑星系の形状であったけれども、分子・細胞の世界はどうなのだろうか。前出ウィキペディアには、分子とは、共有結合によって結合した,あるいは化学結合をせずに原子単独で存在している,まとまりを持った原子団。とある。どうして結合するのか、必然なのか、偶然なのか。結合するだけで終りか、、、そうではなくて、それらの分子はさらに高分子を形成し、万物を形成する。無機体の大きな固まりも作れば、有機体のウイルス、細菌、人間も同じことだ。事実はそうであっても、それが必然なのか、偶然なのか。それが問題だ。例えば、細胞ひとつは、個々の種が同じであれば、全く同じ細胞から始まり、ある細胞は周囲の細胞と結合して心臓になり、ある細胞は周囲の細胞と結合して、目玉になる。分子の結合は夫婦のように、機能化していく過程は職業選択のようなものか。自由意志で動いているようでいて、全体の求めている、足りないものになるように、消防士になったり、俳優になったり、八百屋になったり、するのだ。人間世界にあって、フリーターや、引きこもりというものは、身体の世界では、血液中の過剰なコレステロールだったり、おなかの周りの脂肪と同じことではないか。適度であれば問題ないが、過剰に過ぎれば病気という。地球上の動植物の分布と、身体上の細菌の分布も同じようなものだと思う。かくして、分子、細胞というものは、原子の世界とくらべて柔軟な結合をしているように見えて、またこれも同じように、この関係は、超微小な世界から久遠の宇宙の世界まで、そしてその先の世界へまで、無限に続く関係ではないか。続いて、その理由、必然性について考える。ものにはエネルギーがある。エネルギーを与えられて、変化していく。個々に意思というものはあるのか。あるのではないか。小動物も、植物にも、意思があるように思える。無機質には無いのか、やはりあるのではないか。水に意思は無いのか、鉱脈に埋もれる金やダイヤモンドに意思はないのか。やはり、あるんじゃないのか。人間のオーラ(気)のようなものが、万物それぞれから出ているに違いない。そのエネルギーが、周囲の何かとの関係を決めていく。想像力が人間の脳の作用としてあるとして、無限に続く関係、 有意・無為の結合、活動への想像、 輪廻転生のように、、、、チベットのマニ車のように、思考はまわり続ける。回り続けるだけだ。太陽にも、地球にも、杉やヒノキにも、心臓を形作る細胞ひとつや、水素を回る電子たちにも、宗教があるのだろうか。生死があるのだから、何か救いはあるのであろう。記:とらのこども