日本の司法を変えた3300日の戦い
本村洋 ~ 日本の司法を変えた3300日の戦い ~http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h20/jog577.html■1.「私がこの手で殺します」■平成12(2000)年3月22日、山口地裁から通りを隔てた山口県林業会館に設けられた記者会見場に姿を現した青年は、すさまじい怒りを込めて、こう言い放った。 司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被 告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。 私がこの手で殺します。青年の名は、本村洋氏。前年4月に妻・弥生さんと11か月の長女・夕香ちゃんを残虐な手口で殺害した被告F(当時18歳)の裁判で、無期懲役の判決が出た事に対する怒りだった。少年の無期懲役なら、わずか7年で仮釈放される権利を得る。Fはサンダルをペタペタさせて法廷に現れ、弁護人に促されて、ようやく「遺族の方には申し訳ないことをしました」と無表情のまま取って付けたような「謝罪」の言葉を述べた。それを渡邉了造裁判長は「被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至った」と評価し、過去の事例を数多く紹介して、被害者が二人の場合は無期懲役が妥当であることを示唆した。本村さんは 「この判決は無期懲役判決を下すための口実ばかり探している」と思った。その予想どおり、裁判長が無期懲役の判決を下した後、Fに向かって「分かりましたか」と声をかけると、Fは「ハイ、わかりました」と元気に答えた。殺された弥生さんの母親のすすり泣きが法廷に響いていた。裁判長は加害者には声をかけても、被害者には慰めの言葉一つもなかった。「日本の裁判は狂っている」と本村さんは思った。その「日本の裁判」に対する絶望が、「私がこの手で殺します」という発言になったのである。■2.「司法を変えるために一緒に戦ってくれませんか」■記者会見の後、本村氏は吉池検事の部屋に入った。銀縁の眼鏡をかけ、普段は穏やかでクールな吉池検事が、突然、怒りに震えた声で話し始めたので、本村さんは息を呑んだ。僕にも小さな娘がいます。母親のもとに必死で這っていく赤ん坊を床に叩きつけて殺すような人間を司法が罰せられないなら、司法は要らない。こんな判決は認めるわけにはいきません。こんな判決を認めたら、今度はこれが基準になってしまう。そんなことは許されない。たとえ上司が反対しても私は控訴する。百回負けても百一回目をやります。これはやらなければならない。本村さん、司法を変えるために一緒に戦ってくれませんか。この言葉から、本村の頭には「使命」という言葉が浮かんだ。「司法を変える」、それが自分の「使命」ではないのか。それこそが妻と娘の死を「無駄にしない」ことではないのか。「司法を変える」という吉池検事の言葉は、半年ほど前に犯罪被害者の集まりで岡村勲弁護士から聞いた話に通じていた。岡村弁護士も夫人を殺害された犯罪被害者だった。「事件が報道されても、犯人の実名さえ報じてくれません」と涙ぐみながら語る本村さんに、岡村弁護士はきっぱりとこう語った。 本村君。それは法律がおかしいんだ。そんな法律は変え なければいけない。[1,p107] この集まりから「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が始まっていった。■3.「本村さんの気持ちに応えなければならない」■ 吉池検事の部屋を出た後、本村さんは宇部空港から、羽田に飛んだ。テレビ朝日の「ニュースステーション」が今日の判決に関して、生出演してくれないか、と要請していたのである。「使命」という言葉が浮かんでから、テレビを通じて自分の主張を社会に届けるのも、犯罪被害者たちのためだ、という決心がついたのである。その夜10時半からスタートした「ニュースステーション」に本村さんは生出演した。昼間の記者会見の昂ぶりが消えて、本村さんは自分の「使命」を意識して、一生懸命に語った。今の刑事訴訟法の中には、私が読む限りでは、被害者の権利という言葉は、ひと言もなくて、被害者が出来ることは、何も書かれていないんですよね。結局、国家が刑罰権を独占しているんで、強い国家が弱い被告人を裁くという、で、弱い被告人には権利をたくさん保障してあげましょうという構図が見えて、そこから被害者が、ポツンと置き去りにされているんですね。ですから(法廷に)慰霊を持ち込むことにしても、駄目です、と言われる。[1,p141] 反応はすぐに現れた。記者団に囲まれた小渕恵三総理がこう語った。 無辜(むこ)の被害者への法律的な救済が、このままでいいのか。 本村さんの気持ちに政治家として応えなければならない。この11日後に小渕首相は脳梗塞で倒れ、5月14日に亡くなるのだが、息を引き取る二日前に「犯罪被害者保護法」「改正刑事訴訟法」「改正検察審査会法」が国会を通過した。これで刑事裁判を傍聴することしかできなかった犯罪被害者に、法廷での意見陳述が認められることになる。本村さんたち犯罪被害者の声は、確実に司法を変えつつあった。 ■4.本村さんに頭を下げた裁判長■1審判決から半年後の平成12(2000)年9月7日、広島高裁で控訴審が始まった。吉池検事の「こんな判決は認めるわけにはいきません」との言葉通り、検察と警察の捜査官は凄まじい執念を見せた。Fが拘置所内で手紙を出した相手を一人ひとり尋ねて歩き、その手紙を見せて欲しいと頼んだ。その中にはFの本音が出ていた。二人の人がFからの手紙を提供することに同意し、それが証拠として裁判に提出された。そこにはこんな一節もあった。 犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、 ・・・これは罪でしょうか。[1,p152]検察はこれらの手紙を手に、「Fは、本件犯行を犬の交尾に譬(たと)えている」と厳しく糾弾した。検察も警察も、このまま正義が負けてたまるか、という凄まじい闘志でこの裁判に立ち向かっていることを、本村さんはひしひしと感じた。2年半後の平成14(2002)年3月14日に出た控訴審判決は、やはり「無期懲役」であった。判決理由ではFの行為の残虐性を厳しく糾弾したが、「殺害は計画的なものとは言えない」被告が更正する可能性がないとは言い難い」という理由から死刑にはならなかった。 ■5.「だめ! こりゃいかん! 今すぐやろう!」■そんな中、平成15(2003)年7月8日、本村さんは会を代表して、岡村弁護士らと共に、首相官邸で小泉純一郎総理と面会した。本村さんは加害者の権利ばかりに目を向ける刑事司法への疑問を語った。最初は、傍聴席にも遺族は満足に入れなくて、意見も言えませんでした。いろいろ悔しい思いをしました。刑事司法制度がもっと被害者寄りに変わらなければいけないと思っています。 4人の犯罪被害者が語るそれぞれの思いが、小泉首相を動かした。 「だめ! こりゃいかん! 今すぐやろう!」小泉首相の指示を受けて、自民党の司法制度調査会長の保岡興治代議士や法務省が中心となり、犯罪被害者を保護・救済するための「犯罪被害者等基本法」が議員立法として成立したのは、翌年12月のことだった。■6.「これを破棄しなければ著しく社会正義に反する」■平成18(2006)年3月14日、最高裁が開かれた。いや開かれようとしたが、前代未聞の出来事が起こった。二人の弁護士、安田好弘と足立修一が姿を現さなかったのである。その日、日弁連での研修用模擬裁判のリハーサルがあり、また準備期間が必要というのが理由だった。この日の開廷は4か月前に決まっていたというのに。濱田邦夫裁判長は5月一杯で退任が決まっており、なんとかそれまで裁判を引き延ばそうという戦術であることは明らかだった。二人は「死刑反対派弁護士」で、いくつかの重大事件で被告の死刑を回避した実績を持つ。特に安田はオウム真理教事件で麻原彰晃の一審の主任弁護士を務め、無罪判決を勝ち取っている(2審は逆転有罪)。全国的に注目を集めているこの事件で、加害者の人権のみを重んずる「抵抗勢力」の中心人物が、死刑判決を阻止しようと登場したのである。怒った濱田裁判長は、二人に異例の出頭在廷命令を出して、4月17日に最高裁弁論を開いた。二人の弁護人は「光るものを持った被害者がFに襲いかかったので、押さえつけた」などと、全くの新主張を持ち出した。 弁論は一回で終わり、6月20日、替わった上田豊三裁判官が判決を下した。 「主文。原判決を破棄する。本件を広島高等裁判所に差し戻す」 との判決主文だった。二人の弁護士の新主張は、「他の動かしがたい証拠との整合性を無視したもの」として一蹴され、高裁の無期懲役判決は「その刑の量定は甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく社会正義に反するものと認められる」とされた。 「著しく社会正義に反する」、これこそ本村さんが待ちに待った言葉だった。 ■7.「人の命を奪ったものは、その命をもって償うしかない」■差し戻し控訴審は、再び広島高裁で、平成19(2007)年5月24日から始まった。犯行当時19歳だったFは、すでに26歳となり、身体も二回りも大きくなっていた。安田弁護士らは、Fが弥生さんを生き返らせるための「復活の儀式」として姦淫を行ったとか、押し入れはドラえもんのポケットでそこに殺した赤ちゃんを入れれば、ドラえもんがなんとかしてくれると思った、などと奇想天外なストーリーを展開した。■8.「胸のつかえが下りました」■平成20(2008)年4月22日、差し戻し控訴審の判決が下った。死刑だった。「反省を深めることなく、虚偽の供述を構築し、反社会性を増進させた」という厳しい判決理由からだった。Fは、一度、天を仰いだ後、裁判長に向かって丁寧に一礼した。次に検察官、弁護団と順に一礼した後、最後に傍聴席の本村さんに向かって一礼した。それはFが9年間で遺族に初めて見せた真摯な態度だった。判決の翌日、[1]の著者・門田隆将氏は広島拘置所にFを尋ねた。Fの本音を聞きたいと思ったからだ。断られるかと思ったが、面談室に通されて、Fが現れた。門田氏は死刑判決についての思いをまず聞いた。「胸のつかえが下りました」というFの言葉に、一瞬、耳を疑った。 僕は(自分が殺した)二人の命を軽く思っていました。 でも、今は違います。被害者が一人でも死刑に値すると思っ ています。 Fは法廷で偽りの謝罪をしていた頃とはまったく異なる、憑 きものの落ちたような表情をしていた。死刑判決の重さが、彼 をここまで変えたのだろうか。Fは最後にこう語った。 僕は殺めた命に対して、命をもって償うのはあたりまえ だと思っています。僕は死ぬ前に、ご迷惑をお掛けした人 や、お世話になった人に、きちんと恩返しをして死刑にな りたいと思っています。 (文責:伊勢雅臣)