昭和三年の韓国事情
小生が愛読しているメルマガ、渡部亮次郎の「頂門(ちょうもん)の一針」の読者の声欄に、韓国を含む情報があり、興味深く見たので、皆さんにもご紹介したいと思います。> 読者の声1)戦前の中国関係の本ですが2冊ほど読んでみました。> 支那満洲朝鮮案内 亜東指要 1925年(大正14年) 山根倬三 東洋協会> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~> 2000ページを超える大著で各国・各地の政治・経済・社会・文化を網羅。> あまりに重いので図書館内で閲覧しただけですが非常に興味深い本でし> た。>> 朝鮮では人口1700万人、日本人はわずか36万7千人。大正9年の首都の京> 城(ソウル)といえども大なる造り酒屋・醤油醸造家・菓子店もなく、旅> 籠もない。日本で言えば足利時代に相当する、と書かれています。>> 鉄道ができ日本資本の工場や学校などかなりの数が建てられていた大正> 時代でも社会生活はイザベラ・バードの頃と大差なかったのでしょうか。>> キーセンの項では平壤出身が多いとされるとあり、現代の韓国人が北朝> 鮮の美女軍団に籠絡されるのは歴史的なもののようです。> 支那の項では日本の領事館が40以上もあり、ずいぶん日本人の進出が多>> かったのだなと感心します。中国全土を紹介しているのですが、雲南な> どは仏領インドシナとの関連での説明、当時の大国の勢力圏ごとの記述> でしょうか。>> 最新朝鮮・満洲・支那案内 小西榮三郎編 昭和5年> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~> こちらは旅行ガイドブックで700ページほどの辞書サイズ。日鮮・日満・> 日中各往復券や周遊券の紹介、15日・21日・30日での旅程、各地の通貨、> 時差(南満洲・支那は1時間遅れ、哈爾濱時刻は南満時刻+26分)、旅館へ> の祝儀、食事や水の注意など今のガイドブックとほとんど変わりません。>> 朝鮮編:「商業」の項では、朝鮮人は従来常設店舗を設けず、多く市場> の取引を主としたが、近時店舗を設くるもの、漸次其数を増すに至った。> とありますから大正時代あたりまではテレビの韓国歴史ドラマの世界と> さほど変わらなかったことがうかがえます。>> 沿線案内では各地の沿革・人口・銀行会社・旅館・名所旧跡など細かく> 説明。>> 人口では昭和3年の数字として > 釜山 朝鮮人 71,343 内地人 41,144 外人 605 計113,092> 京城 朝鮮人 230,734 内地人 86,548 其他 908 計321,848> 開城 朝鮮人 43,302 内地人 1,338 外人 189 計 44,879> 平壤 朝鮮人 85,898 内地人 22,527 外人 860 計109,285>> ずいぶん人口が少ないことと釜山・京城の日本人の多いことに驚きます。>> 満洲でも同様 大連 日本人 80,879 支那人 135,801 外国人 > 400 計217,080> など詳細な人口がでてきますが、これが中国になると天津約80万。日本> 人3千、北京 90万弱 日本人約3千、青島 支那人 14万 日本人1万2> 千、など大雑把。満洲では日清・日露の戦跡の紹介に詳しいのは当時の> 時代を物語ります。>> 青島の項では大日本麦酒工場が大正9年に青島麦酒を買収し札幌ビール、> 朝日ビール、青島ビールを醸造、其生産高は独逸時代に数倍するに至る> とあり他にも紡績会社が大量に進出するなど日本企業の進出ぶりは現在> とほとんど変わりません。>> 肉牛も年間6万7千頭を処理し6万頭が日本向けに輸出とあります。アサ> ヒビールが中国進出にあたり青島ビールと合弁会社を設立したのも歴史> 的な経緯で納得。>> 上海はさすがに大都会、人口150万、在留外人約4万、其半数は邦人とあ> ります。マカオについては人口19万余、貿易不振の為に政庁は歳入を得> るの道なく?窮余の一策として公然賭博を免許し、其の税金を以て政庁> の経費を維持して居る。>> 而して歳入の他の一部分は阿片専売の収益税で、其処には有名なるサン> パウロ寺院があるのも面白い。とあり現在のマカオと同じですね。>(PB生)> ◎渡部亮次郎の「頂門(ちょうもん)の一針」> のバックナンバー・配信停止はこちら> ⇒ http://archive.mag2.com/0000153821/index.htmlにほんブログ村