歴史の旅「能登半島」
地中海におけるギリシャ、イタリアほどではないにしろ、日本海へぬっと突き出した能登半島。今でこそ、目立たない地方のようであるけれど、古代から歴史上、国内でも有数の豊かな地域であり続けた。そして今も、その財産、文化を受け継いでいます。歴史と人の綾なす物語り。能登には濃密にあります。さて、能登の歴史の旅。朝鮮半島との行き来から書き起こしてみます。朝鮮使節はどうやって日本へ来たか。ネットで調べてみました。普通なら半島南部から九州。。。でしょうが、朝鮮半島の中部、北部から日本海を横断するルートがあったのです。(以下、ネットの能登情報より転載)舳倉島(へぐらじま)という島が、石川県輪島市沖40km位にあります。また、輪島市には、重蔵神社という神社があり、今は「じゅうぞうじんじゃ」と言いますが、その昔は、重蔵と書いて「へぐら」と言ったそうです。そして、この神社の神様は、女神様ですが、かっては、宗像三神のように三姉妹の神様だったそうで、今ご本尊は、輪島の重蔵神社ですが、元々は、舳倉島だったそうです。宗像三神が、航海の神様であったように、この神様も航海の神様だったようです。古代、舳倉島と輪島との中間地点にある七つ島(ここもナカツヒメという女神様の島)と輪島の重蔵神社でワンセットだったようですね。ここが、朝鮮半島への重要な航路であったのです。(転載終わり)古代、朝鮮半島とつながっている地域は、日本列島の中でも、非常に重要な地域です。(今で言う横浜、神戸と同じ地位。)また、半島から移住してきた古代人達の町があったり、古代出雲の東への拡張があり、北陸地方から新潟にかけては、東の出雲と呼ばれていたんですね。平野の開拓、街の建設などが出雲の人たちが携わった歴史が今も古文書などに残されています。神社も同様です。このテーマは、続編があります。(続く)