珍しい日
先週末から真冬日が続いている。最高気温でもマイナス3度とか4度にしかならない。寒くて外に出る気がしない。昨日、夕飯を食べているとき、賢浩が、「今日、僕はママに一度も怒られてないね。学校でも怒られなかったし、今日は、僕、誰からも怒られていないよ。」と言った。そういえば、そうだなー。夕飯を食べた後も、いつもは私に怒鳴られるまでダラダラとテレビを見ている子なのに、昨日は違った。パパのひざの上に座って(甘えん坊だから・・・)、英語の本を音読していた。その後、私が何も言ってないのに、自分からニコちゃんが散らかしたおもちゃを片付けたり、ニコちゃんが歯を磨くのを手伝ってあげたり、なんだが別人のようにいい子だった。結局、「おやすみ」と言うまで、一度も怒ることなく、むしろほめることばかりだった。賢浩に「これでママの白髪が少なくなるね。」と余計なことまで言われたが・・・。「あら、いい子ね。」「ママ、うれしいわ。」という言葉が自然に出てきた。本人もそういわれて、うれしかったのだろう。やはり、ほめて育てるということは大切なのだなーと思った。しかし、昨日の場合は、「ほめなくては・・・」と思って、怒りたいのを無理に我慢していたわけではない。賢浩が自発的に宿題をしたり、トランペットの練習をしたり、「あるべき姿」(もしくは、「そうあって欲しい姿」)だったからである。そこで、何故このような変化があったのかと考えてみた。まず、考えられることは、Menuk(総合学習)のテストで「1-2(1.5)」という評価を取ってきたこと。平均は「2.6」だった。とにかく、評価で1点台をとってくることが今までなかったので、パパも、「これで、バーガーキングにいけるね。」と大喜び(自分が行きたかったから・・・)。Menukのテストは、前からあることがわかっていたので、私と一緒に勉強した。その前に行われた、宗教のテストも、私と一緒に勉強した。評価は、「2」だったのだけど、平均評価は「3」だったから、悪くない成績だった。私と一緒にテスト勉強すると、少なくとも「2.5」より良い成績はとってくる。本人も、そのことはわかったようで、「ママのいうことは正しい。」と思うようになってきたのだろう。(しかし、残念ながら、ドイツ語は私の手に負えないので、「自分で頑張ってね。」ということになってしまい、結果的にいつも点数が悪い。)また、最近、賢浩は、自分のメールアドレスを持つようになった。中国遠征のため、自分専用のメールアドレスを作った恵子をみて、自分も欲しいと言い出したからだ。でも、賢浩のメールできる相手は、今のところ夫か私の家族に限られる。先日、夫が、「賢浩は、自分はギムナジウムには行けない、と思い込んでいるようだ。僕達があまりにもバカ!と言いすぎたから、自信をなくしてしまったのだろうか?」というようなメールを自分の家族に送ったようだ。そこで、義母や義姉から賢浩あてに、「賢ちゃんはやればできる子なのに、どうして何もしないうちから自分はできないと考えてしまうのかな?」とか「賢ちゃんはいい子だよ。」というような内容のメールが届いた。「good(良い)」とか「smart(賢い)」とか、そんな言葉がいっぱいちりばめられていたので、気をよくしたのかもしれない。素直で単純な子なのだ。ところで、このe-mailだが、賢浩も恵子も、夫の家族には英語で、私の家族には日本語で書かなくてはならないので、言葉の練習にもなるし、家族には喜ばれるし、一石二鳥。恵子の場合、英語の読み書きはまったく問題ないが、日本語だと読めない漢字がたくさんある。また漢字を書くのも苦手なのだが、自動変換されるので、どの漢字が適当かは見当がつくようだ。忙しくて、ゆっくりメールを書いている時間はあまりないのだけど、私の家族とのメールのやり取りは、今のところ、彼女にとって最高の日本語のレッスンになっているように思う。賢浩は、英語は話せるが、綴りがめちゃくちゃ。たとえば、書く(write)なんて、wrightと綴ってしまったりする。また手紙を書くことに慣れていないので、「なんて書けばいい?」と私に聞いてばかり。そこで、オンライン辞書でドイツ語から英語を検索できる方法を教えてあげた。でも、苦労して書いたと思ったら、ニコちゃんにいじられて、全文消されてしまったこともあり、短いメールをひとつ書くだけでも1時間ぐらい費やしてしまう。私もそんなに気長に付き合ってられないので、なかなか賢浩にメールを書かせる機会がないのが残念。今日は、姉の誕生日なので、昨日は、賢浩も恵子もメールを送りたがった。恵子は忙しい日だったので、短い文を自分で適当に書いて送ったようだ。賢浩は、昨日はじめて「日本語」でメールを書いた。ローマ字入力なので、あまり問題はないが、促音とか拗音の入力はなかなか飲み込めなかった。また、ラ行を「La,Li,Lu,Le,Lo」と入力してしまうのは、外国人にありがちなミスなのだろうなーと思った。英文のときは、主語は「I」にするのに、日本語のときは、自分のことを「賢ちゃん」と書いていた。普段から、賢浩は日本語では、自分のことを、「賢ちゃん」といい、「僕」「私」という言い方はしない。これは、ニコちゃんにも言えることで、ニコちゃんは、何でも、「This is mine.」とか「Das (ist) meine.」 などというが、日本語になると、「これ、ニコちゃんの」という。パパに向かっては、「yours」というが、私に向かっては、「ママの」という。日本語では人称代名詞をあまり使わないので、ニコちゃんの言い方は正しいのだが、一人称までいつまでたっても代名詞が使えない。欧米語と日本語の大きな違いだなーといつも思う。日本では、いつまでたっても自分のことを名前で呼んでいると、「幼稚なやつ」と思われるが、我が家では、12歳の恵子でさえ、日本語のときは、「恵ちゃん」と自分のことを言っている。これは、周りにお手本がいないからだと思う。私も子供たちに対し、「私」と言わず、「ママは・・」とか「ママの・・・」と言うし、私の家族も、「おばあちゃんは、・・」などという。日本に留学等させない限り、これはなおらないのかもしれない。