『海の沈黙』――触れ合ってはならない魂に触れた老人の「プラトン的視線」
<続き> この映画がひどく政治的である理由のもう1つは、原作者のヴェルコールがメルヴィル監督に、レジスタンス活動家による「検閲」を映画化の条件としたためだ。完成した作品を見て、レジスタンス活動家の1人でもNGを出せば、公開はさせない--このやり口は、まるで旧ソ連の共産党政権下での言論統制のようだ。原作者とレジスタンス活動家に配慮したのか、映画の最後には、「この小説はナチス占領下の1942年、愛国者によって出版された」という文言がわざわざ入る。ドイツ人将校ヴェルナーがパリの街を歩いているときも、アウステルリッツの戦いの勝利を称える凱旋門の石碑だの、ジャンヌ・ダルクの彫像だの、フランス人の愛国心を煽るようなモニュメントがさかんに出てくる(それを見て、ヴェルナーのほうは、自分の理想が幻想に過ぎないことに目覚めていく)。自由の希求を謳ったはずの作品が、逆の意味で非常に不自由な条件のもとで制作されたという事実。この作品を見るときには、鑑賞者はこうした背景を含んでおくべきだろう。だが、ジャン・コクトーがメルヴィル監督を気に入った理由を、この作品に色濃い「フランス愛国主義」に求めるのは、完全なる間違いだと思う。占領時代、ジャン・コクトーは確かに対独協力派からの猛烈な攻撃を受けた。それは主に俳優のジャン・マレーとの「不道徳な関係」が原因であって、コクトーの政治的立場とは直接関係がない。個人的な友情を何より重んじるコクトーは、対独協力派フランス人どころか、ヒットラーの側近である彫刻家アルノ・ブレーカーとの交流を続けていた。この態度がのちに、コクトー自身対独協力派だったのではないかというあらぬ疑いをかけられる原因にもなる。また、コクトーはフランスが世界に冠たる文化国家であることを誇りにしていたが、フランス政府や一般人の態度についてはかなり批判的だ。フランスを偉大にしたのは誰か? ヴィヨンであり、ランボーであり、ヴェルレーヌであり、ボードレールだ。このお歴々が皆、留置場に押し込められた。人々は彼らをフランスから追放しようとした。病院で死ぬにまかせた。(ジャン・マレー著「私のジャン・コクトー」岩崎力訳、東京創元社)コクトーのこの言葉は、フランスの名声を世界に高めた詩人がいかにフランスに冷遇されたかを皮肉ったものだ。どうみても、いわゆる愛国主義者の言葉ではない。また、コクトーは占領時に以下のような、彼なりの「抵抗論」を書いている。戦ってはならない。フランスはアナーキーの伝統という秘密兵器をもっている。それは強大な民族をも戸惑わせる力をもっている。戦ってはならない。侵入したければするがいい。フランスはあなたがたを打ち負かし、最後にはあなたがたを支配するだろう。(前掲書より)レジスタンス活動家とは一線を画した思考のもち主だったコクトーが、では、なぜこの作品を気に入ったのか。その秘密を解く鍵は、老人と青年将校の「関係性」にあると思う。小説『海の沈黙』では、老人の姪の心理にスポットが当てられている。フランス贔屓のヴェルナーは姪に惹かれているが、姪のほうも紳士的なヴェルナーに次第に惹かれていく。そうした心理的葛藤の後、去り行くヴェルナーに、「アデュー」と一言告げるのが小説のハイライトだ。ところが、映画『海の沈黙』では、監督のメルヴィルの関心はむしろ、老人が青年将校に抱く不思議な共感にあるように見える。ヒロインは存在感が薄く、脇に追いやられている。もともとメルヴィルとは、『白ゲイ』、じゃなくて、『白鯨』の作者ハーマン・メルヴィルから取ったもの。監督自身、「男による男だけの世界」に引き寄せられる体質だったことがよくわかる。映画は、老人のナレーションと青年将校のモノローグで進行していく。老人は青年の心理にぴったり寄り添い、その想いを代弁する。たとえば、激しい雨の晩、外出先から戻ったヴェルナーは老人と姪がくつろぐサロンに直接入ってくるのではなく、自分の部屋に戻って、服装を正してから挨拶に来る。それが、「威厳を損なうような格好を見せないため」であることを、老人は理解している。礼節を重んじるヴェルナーに対して、シカトを続けるのは、「つらい」と老人は感じている。彼が姪に惹かれていることも察している。沈黙を続けながら、老人は常に青年の心を思っている。非常に印象的なのは、老人の青年を見つめる「まなざし」だ。老人とは思えない強く、鋭い、強烈な意志を感じさせる。それもそのはず、老人役の俳優ロバンは、撮影当時は30代半ば。実際には老人ではなかったのだ。ヴェルナー役のヴェルノンが1914年7月生まれ、ロバンは1913年12月生まれ。つまり2人はほとんど同い年といってもいい。ヴェルナーを見つめる老人の射抜くような視線は、表向きは激しい抵抗の意思を示したものとして描かれているが、それだけではない「何か」が漂っている。たとえば、老人がドイツ軍本部に出向いて、そこでヴェルナーと視線を交わす場面。ヴェルナーは鏡に映った老人の視線に気づいて、一瞬たじろぐ。そして、鏡から視線をはずし、老人と眼を合わせ、何か話しかけようとしたあと、そっと頭を下げる。その遠慮がちの態度は、猛禽類に狙われた、いたいけな小動物めいている。ラスト近くでも、2人の視線が絡み合う。パリで上官や長年の親友の無慈悲な態度を見てナチスドイツに絶望し、自ら前線への配置転換を願い出たヴェルナーが、老人と姪の暮らす家から出ていこうとする場面。戸口のそばに置かれた本を開くと、そこには、切り抜かれたアナトール・フランスの言葉。それを読んだヴェルナーがはっとしたように振り返ると、そこにはまた、部屋の隅から自分を見つめる老人の燃えるような視線がある。そこで音楽が急に、切なく激しく盛り上がり、ここが映画のハイライトであることを強く示唆する。老人がわざわざ青年に読ませたアナトール・フランスのメッセージは謎めいている。「罪深き命令に従わぬ兵士は素晴らしい」。この解釈は幾通りにも可能だ。それは見るものに委ねられている。昨今の「説明しすぎ」の映画にはない態度だ。Mizumizuには、老人が青年に「(前線なんかに)行くな」と言っているように思えた。そう解釈した理由の1つは、パリで会った親友の変貌ぶりに絶望したヴェルナーの涙ながらの独白を聞いたときの老人の態度。これまでかたくなに沈黙を保っていた老人が、ヴェルナーに何か言おうとするのだ。それもかなり勢いこんで。ところが、それをヴェルナーが止める。「私と話してはいけない。あなたはあなたの抵抗を貫くべきだ」と言わんばかりに。そこで老人は再び沈黙し、前線に復帰するというヴェルナーの決意を聞く。彼と彼の間にある、越えられない境界線。最初ヴェルナーは、フランスへの共感と未来への明るい希望を言葉にすることで、その境界線を越えようとした。だが、やがてそれが許されざる宿命だと悟り、自ら去ることを決意する。最後の最後に、アナトール・フランスの言葉に託して老人は、「もう一度境界線を越えてこちらに来い」と言ったのではないか。フランスの文学を愛し、支配者ではなく友人として自分たちと接しようとした心清きドイツ人将校。むざむざ命を捨てるような前線に、老人は青年を行かせなくなかったのではないか。彼ほど彼の心情を理解した人間は他にいなかったのだから。ヴェルナーも姪のいる家に未練があった。出発の手伝いをするために部下が部屋をノックしたとき、彼が彼女の来訪を期待していたことは明らかだ。ヴェルナーがメッセージを読み、老人と視線を交わしたあと、部下がやってきて、出発の準備ができたとヴェルナーに告げる。そこでしばらく沈黙が流れ、ヴェルナーの「Ich komme(今、行く)」という台詞が来る。このときヴェルナーは部下も老人も見ていない。「私は行く」--これは、部下への返事という以上に、老人への返答のように聞こえた。これがヴェルナーの最後の台詞だ。そのままカメラは老人の視線となり、戸口から出て行く青年のたくましい後姿を追う。彼はドイツ人らしく、規律に殉じることを選んだのだ。その内面の苦悩を誰よりも理解したのは、敵として存在するほかないフランス人の老人だった。『海の沈黙』が愛国と反ナチ勢力に取り巻かれつつも、凡百のプロパガンダ映画で終わらなかった理由も、触れ合うことを許されない魂の間に生じた微妙な電流を、陰影に富んだ独特の映像美で描出できたことにある。老人は立ち尽くし、青年が開けたまま出て行ったドアの方向を見つめ続ける。外の見える開いた戸口、老人――このショットが3度も繰り返され、最後に老人が眼を伏せ、肩を落とす。ああ、彼は行ってしまった――声にならない老人の声が聞こえてくる。哀しくも美しい、2人の人生の別れ。老人の留まる部屋は暗く、青年が出て行った戸口の外は明るい。だが、彼が向かったのは、この世でもっとも暗い地獄なのだ。ジャン・コクトーが『恐るべき子供たち』をメルヴィルに撮らせたいと思ったのは、この老人が青年にむけたプラトン的視線ゆえだと思う。『恐るべき子供たち』で核になるのも、ダルジュロスとポールの関係性。ダルジュロスの出番は少ないが、ポールは常にダルジュロスに支配され、彼に導かれるままに死の世界へ旅立つ。もう1つ理由があるとすれば、青年将校役のスイス人俳優ハワード・ヴェルノンが完全に「ジャン・マレー風」の演技を披露していることだろう。この映画が撮影された当時、マレーはフランス一の人気イケメン俳優だったから、その演技スタイルの影響を受けたとしても不思議ではない。『美女と野獣』の話題も出てくる。話題にするのは映画ではなくて小説のほうだが、『海の沈黙』の撮影の前年にコクトーの映画『美女と野獣』が封切になっている。コクトーは、自分の映画の影響を、ヴェルナー役に見たのかもしれない。それにしても・・・岩波ホールは、シニア世代でいっぱいだった。20代はほぼ皆無。戦争あるいは戦後の混乱期を体験した世代は、若いころはレジスタンス活動に対して気真面目なシンパシーをもっていたのではないかと想像するのだが、年齢を重ねた彼らが今、この映画をどう見たのか聞きたい気がした。