彼は去り、彼は歌う<中編>
<昨日のエントリーから続く>同級生の死というのは、実際にそれが来てしまうと、想像していた以上の寂寥感をもたらす。ご家族やさらに近しい人々の心情を想えば、「私も悲しんでいます」などとはおこがましくて言えないが、中学という若い時代、人生を四季にたとえるなら、春のただなか、あるいは夏へ向かう、みずみずしく元気な時代のイメージしか、ほぼない人の、それも病死となるとなおさらだ。病魔は、いくら人間が気をつけていてもふいに襲ってくるものだ。それがたまたま「彼」であっただけの話で、「彼」は「私」だったかもしれない。「彼」に訪れた終焉は、思うより早く「私」のそばに来ているのだろう。得体の知れない影のようにひたひたと迫ってくる孤独感は、「もうあの人に会うことも、話すこともできないのだ」という信じがたく、受け入れがたい事実の悲しさ以上に、自らにも迫ってきた死への恐怖なのかもしれない。このところ、私はしばしば山口の実家へ帰る。実家に転がっている古いモノたちは、ふいに忘れた過去の記憶をよみがえらせる。たとえば、古い楽譜。中学の英語の授業の中で、ある歌を歌ったことをふいに思い出した。Gone are the days when my heart was young and gay,Gone are my friends from the cotton fields away,Gone from the earth to a better land I know,I hear their gentle voices calling Old Black Joe.歌詞の書かれた楽譜を机の上に立てながら、皆で歌ったとき、私の隣りの席に座っていたのは、おそらく亡くなった彼だった。I'm coming, I'm coming, for my head is bending low,I hear their gentle voices calling Old Black Joe.彼を含めて、先に逝ってしまった友人たちの顔を思い浮かべながら、この歌を口ずさむ、Joeのように年老いた自分の姿が、ひどく現実味を帯びて目に浮かんだ。この歌を習った頃には、まさか自分がOld Balck Joeになるなんて、思ってもいなかったのに。実家では、亡父の遺した持ち物を、少しずつ整理している。もう父が亡くなって10年以上。いい加減に片付けなければ。「片付ける」とは、すなわち「捨てる」もしくは、「売る」ということだが。父が買った初期のシンセサイザーがあった。中学の頃だ。またも、忘れていた思い出が蘇る。シンセサイザーが家にあると級友に話したら、誰より強い反応を示したのが、亡くなった彼だったのだ。「シンセサイザー、くれよー」などと言ってきた。冗談にしては声が本気すぎた。そもそもシンセサイザーなるものの存在さえ知らない人がほとんどだった時代に、なぜそこまで彼が関心を持つのか、その時は理解できなかった。彼が音楽好きで、自分でシンセサイザーを買って曲まで作っていたのを知ったのは、彼が闘病ブログを書き出してからだ。彼所有のエレキギターの数々にも驚かされた。機能まではブログの写真では分からないが、色やフォルムからして、「コレクション」と呼ぶにふさわしい、美しき現代の撥弦楽器。そこでまた奇妙が符合が起こる。亡父は抱えて演奏するタイプの民族弦楽器を集めていた。インドのシタール、中国琵琶、沖縄の三線、ベトナムのダン・タム、ロシアのバラライカ… すべて現地で購入してきた。父の生前は、壁にかけて飾っていたこともあるこれらの美しい弦楽器は、半ば壊れてしまったものも含めて、今も実家にある。亡くなった彼は、「ギターもね、なんであんなに集めちゃったんだろうと思う」と、私へのメールに書いてきたことがある。病気が悪くなってきた頃で、「かみさんは興味ないから、自分で処分しないと」と、気にしていた。もしがんと共存できたら、古民家を買って改築して住みたいというのが彼の希望だったから、古民家にあの美しいエレキギターが飾られたらさぞやステキじゃないか、と実家に遺った民族弦楽器――撥弦楽器も擦弦楽器もあるが、私から見れば形からしてギターの仲間――のコレクションを思い浮かべながら思ったが、何も言えなかった。私だって自分で買うほどの興味はないが、「遺された」弦楽器は捨てずにいる――そんな話の流れになってしまいそうだったから。彼が亡くなったのは、2018年12月8日。彼がCDデビューしたのが、2019年1月23日。それから、四十九日。その3日後、1月29日は父の命日だ。山口の実家で朝メールを見ると、デビューした彼からメールが入っていた。ダウンロード配信が始まったというお知らせだった。そして、アマゾンのデジタルミュージック、アルバム、キッズ・ファミリー部門で1位を獲得したという。さっそくサイトにアクセスし、聴いてみる。マスターの彼には、なにげに驚かされることが多いが、今回も、だった。<続く>