理想主義は常に政治力に屈服する
<続き>ステップのレベル認定緩和(?)の前哨戦はカナダの国内大会だったと思う。なんとチャンのステップ全部にレベル4とすんげ~(笑)加点。すると、ジャンプがダメな選手でも、かなり点をかさ上げできることがわかった。その一方で、4回転2種類を決めたレイノルズ選手は、フリーの演技構成点で、チャンに27.68点もの差(繰り返しますが、演技構成点だけの差ですよ)をつけられて総合3位に落ち、オリンピックにいけなかったのだ。http://www.skatecanada.ca/en/events_results/events/cdns10/results/sd2.pdfフリーで演技構成点が1位と2位の選手で27.68点。これは「異常」に見えないだろうか? Mizumizuにはそう見える。だが、別に「不当」ではない。「不当」の根拠はどこにもないからだ。慣習的な感覚から見れば、まったく異常に見えるが、それだってちゃんとルールにのっとって出された点。ファンや関係者が、それぞれの主観で「妥当だ」とか「この点は出すぎ(あるいはこの点は低すぎ)」などと主張しても、ただの水掛け論になってしまうのは、明確な基準が何もないからだ。感覚的な「妥当」感は、これまでの点で出方からの推測とその選手に対する自分の好みが加味され、自分の主観で納得できる範囲の点なら「妥当」、それを逸脱した点なら「不当」になる。点が高いか低いかの議論がかみ合わないのは、当然のことだ。こうやって今シーズン、どんどん演技構成点は発狂していった。そのきっかけになったのは、明らかにロスのキム選手の演技構成点だ。このカナダの国内大会のあまりの採点に噛み付いたのも、ストイコだった。そのとおりだと思う。自国の国内大会の採点を元選手が批判するなど、普通はありえない。同等の技術点を取っても、スケートの技術と表現力を評価する演技構成点で25点だ30点だと差をつけられるのなら、試合などやる必要はない。やらなくても勝負は決まっているのではないか?ロシアも同様の手段で対抗した。プルシェンコの国内大会の点は、これまた発狂花火と言っていい。あっちこっちでやりたい放題。勝たせたい選手をどこまでも上げる。エゴ丸出し。新採点システムの柱だった、「客観性」は一体どこに行ったのか。オリンピックでも、基本的にこの手法は使われたと思う。「これでは競技会でなくて、リサイタル」、ストイコはそう切り捨てた。それはペアの試合でもう明らかだった。優勝したのは、中国の申雪・趙宏博ペア。中国ペア史上最初にして最高のペア(だとMizumizuは思っている)だが、これまで厚いロシアの壁に阻まれ金メダルがない。長く活躍した悲運のペアに金メダルを・・・というムードは、もうショートからアリアリだった。滑走順が早かったのにもかかわらず、素晴らしい演技をして歴代最高得点。旧採点時代ほどではないにせよ、「絶対評価」の今でも滑走順が早いと点が出にくいという、これまでなんとなくあった慣習的な傾向をあっさりと覆す。これも事前「仕分け」の効果だろう。断っておくが、申雪・趙宏博ペアのショートの演技は、このうえないほど素晴らしいものだった。さて、問題のフリー。申雪・趙宏博ペアの「アダージョ」は例によってカナダのローリ・ニコルの振付。しっとりとした雰囲気は素晴らしく、芸術性の高いプログラムだった。投げ技も目を見張る凄さだし、独創的なデススパイラルも見せるが、なんといっても滑りの美しさが際立っていた。だが、ミスも目立った。非常に悪かったのはソロスピン(ペアが離れて行うスピン)の回転が途中、2人で相当バラバラになってしまったこと(軸も流れてしまっていた)、それにリフトの途中でバランスを崩し、途中で降りてきてしまったことだ。ペアの華であるスピンとリフトでの失敗は、はっきり言って相当に痛い。だが、例によって演技構成点が高く出て、そのまま逃げ切った。逆に総合2位になった(同じく)中国ペアはエレメンツは完璧にこなしたのに、ショートで(完璧なできだったにもかかわらず)点をおさえられて1位と約5点点差をつけられ、4位と出遅れたのが響いて逆転できなかった。ミスのないペアが勝つという競技会の基本からするとこの結果はどうかと思うし、申雪・趙宏博ペアのようにスピンがあれほど乱れて、リフトが途中で崩壊してしまうなど、五輪王者にはふさわしくない演技だ。もちろん2人の滑りはなめらかで、独特な世界を醸し出していたのは確かだ。表現力では、2位のペアを寄せ付けないものがあったと思う。だが、「滑りがきれい」で「独特の世界」を楽しむなら、それこそまさにアイスダンスを見ればいい。そもそも新採点システムが導入されるきっかけになったのは、ノーミスだったカナダペアを、ジャンプの着氷で少しガタッとなったロシアペアが破り、それが「裏取引によるものだ」という告発がなされたからだった(後にそう言い出したフランス審判は自分の発言を撤回したにもかかわらず、真相解明はなされないまま、メディアの報道で「不正があった」ことになってしまった)。ところがその結果、導入された採点システムでは何が起こっているのか? ノーミス(に見える)選手が明らかなミスをした選手に勝てない。「表現力とエレメンツの質の評価」が、勝敗にあまりに大きく影響する。それでは、まさに「リサイタル」ではないだろうか?さらに悪いのは、旧採点法ならば、ショートで2位以下でも、フリーの出来次第で逆転が可能だったのが、今の事前仕分けによる採点では、「ショートで点差をつけて、フリーが悪くても逃げ切り」のパターンがあまりに増えてしまったことがある。旧採点システムでもショートは大事だった。ショートで4位と出遅れると、自力の優勝がなくなり、自分がフリーで1位をとっても、ショート1位が3位まで落ちなければ優勝できない。だが少なくともショートで2位の選手は、フリーで自分が1位になれば逆転できた。ショートでメダル候補を「仕分け」して、優勝候補にあからさまに高得点を与え、フリーではミスが出ても演技構成点を高くして順位をキープさせる今季のやり方では、旧採点のような「誰の目にもわかりやすい」逆転優勝劇が非常に出にくくなった。その分、ショートに強くフリーでミスが出やすい選手(キム選手も高橋選手も、基本的にはこのタイプ)には有利だ。フリーの演技構成点で救ってもらえることがほぼわかっているなら、余裕をもって演技もできる。ショート2位の選手がフリーで1位になっても、ショートの点差で逃げ切られてしまうという試合が目に見えて増えてきたのはここ最近だ。逆に勝たせたい(とジャッジが思っているであろう)選手が2位にいて(だいたいその場合は、トップとの点差はわずかだ)、フリーで多少ミスが出ても、演技構成点をより高く出すことで、逆転させることもできる。これはまともに客観性(基礎点)を重視していた数年前では考えられないことだ。以前はフリーの点が大きい分、基礎点の高いジャンプを組んだ選手が大逆転をすることもあったが、上位の選手間では、今はそういうエキサイティングな大逆転は起こらない。同じシステムなのに、ここまで操作性を高め、元来の目的を歪めてしまったのは、本当に信じられないことだ。結局のところ、主観のからむ採点競技での絶対評価というシステムは、理想主義的すぎた。ジャッジには思惑がある。それを一切廃して(あるものをないことにして)、選手間の比較ではなく、絶対評価で点をつけるなど不可能なのだ。明確な「完成形」のモデルがどこにもないのに、「完成度」が高ければ加点をしたり、演技構成点を高くしてもいいという話は、そもそも矛盾している。さらに演技審判がどんな点をつけたのかを秘匿としたこと(「ジャッジの匿名性」という話がこれだ。参加したジャッジの名前は公表されているが、誰が誰にどんな点をつけたのかは秘密になっている)が、さらにファンからの信頼を失わせる結果になったと思う。 ペアの採点では、もう1つ「異変」があった。それは3位に入ったドイツペアと4位に落ちたロシアペア(女性が日本人の川口選手)。この2組のペアは直前のヨーロッパ選手権では、順位が逆だった。 技術で優れている中国ペアとヨーロッパ勢がどういうふうにメダルを分け合うことになるのか? バンクーバー五輪が開催中に、ドイツペアはヨーロッパ選手権でのジャッジングを批判することで、ロシアに圧力をかけてきた。同じドイツ人がIOCの副会長に再選された日(2010年2月13日 。 国際オリンピック委員会(IOC)は12日、バンクーバーで総会を開き、ドイツのトーマス・バッハ副会長と南アフリカのサム・ラムザミー理事を再選した)を見はからって出された、ドイツペアとそのコーチの発言記事。http://de.eurosport.yahoo.com/12022010/30/steuer-kritisiert-preisrichter-laquo-schlupfloecher-raquo.htmlSteuer kritisiert Preisrichter: «Schlupflöcher»シュトイヤー(ドイツペアのコーチ)、ジャッジの採点には「穴」があると批判Dennoch finden die Preisrichter nach Steuers Ansicht Wege, «den einen oder anderen zu bevorteilen». Bei der Europameisterschaft in Tallinn, als sein Chemnitzer Paar nur Silber hinter den Russen Yuko Kawaguchi/Alexander Smirnow gewonnen hatte, «waren sie nicht auf unserer Seite». Bei der Europameisterschaft in Tallinn, als sein Chemnitzer Paar nur Silber hinter den Russen Yuko Kawaguchi/Alexander Smirnow gewonnen hatte, «waren sie nicht auf unserer Seite».(透明で客観性の高い採点システムにしようと改正を繰り返してきたにも)かかわらず、シュトイヤーによれば、ジャッジは、「誰か、あるいは別の誰かを有利にする」方法を見つけたという。タリンでのヨーロッパ選手権で、ドイツペアがロシアペアに負けたとき、「(ジャッジは)我々の側にいなかった」<続く>