そのとき世界はキラキラと輝いていた
私は、独身の頃、疲れ果てて、毎夜、布団の中で激しい動悸に襲われ気を失うことが度々ありました。最初は1週間に1回。それが、だんだんと回数が多くなり、毎日、夜中になると動機に教われるようになりました。もうこのときは歩くことも、ままならないほどに疲れ果て、筋肉炎の薬を飲まなければ痛みを抑えられないほどの激痛に襲われておりました。薬の量を少しずつ早く減らさなければ命にかかわる劇薬だったのですが・・・・薬の量を減らすと全身が痛くて動けなくなるのです。なので、私は、このとき生きることを諦めました。私は誕生日まで生きられるだろうか・・・・・?誕生日が命日になるのかな・・・・と感じておりました。そのような状態であっても私には一切の甘えは許されませんでした。家へ帰ってから、『今日は、晩御飯を作るのは、しんどくて出来ん・・・・』と言うと、お決まりの『皆、しんどい!』という母の言葉。私は死んでから、ようやく、『本当に、しんどかったんやな~。』と、分かってもらうしかないのやな・・・・と思いました。で、体に鞭打つように、毎日、仕事に行きました。ついには足が立たなくなってしまい・・・・動けなくなってしまいました。私は死神が迎えに来たのだと思いました。私の目に映る世界は輝きに満ちていました。『ああ。世界は、こんなにもキラキラと輝いていたのか・・・・何と美しいのか・・・・。私もこんな風に輝いていたんだな・・・・。』と思ったとき、自然に涙がこぼれました。悲しみからではなく、別れの挨拶のようなものでしたね・・・・それから終日後、あの大地震が起きました。私が一番困ったことは、薬がない!ということでした。薬がなければ全身に激痛が走るのです。仕方がないので、とにかく開業しているお医者さんを探して、薬を出してくれるように頼みました。すると、お医者さんからドクター・ストップがかかり、『今すぐに仕事を辞めて絶対安静にして治療に専念しなさい。』と言われて、私も、仕方がないのでそのようにしました。全身が痛くて、動けと言われても動けませんでしたからね。私は素直に死を受け入れようとしていたのに、運命は生きる方向へと向けられてしまいました。人生の意味なんて誰にも分かりません。誰も教えてはくれません。人生の意味を教えてやろう。と近づいてくる者は怪しい教団くらいのものです。人生の意味を知るのも探すのも自分にしか出来ないことなのですよね。誰の人生でもなく自分の人生なのですから。