中学1年のときの歴史の先生
私は中学1年のときに歴史の先生に授業が済んだ後に質問した事がありました。私:『先生。日本は何で、あんなに長い間、戦争をしていたんですか?』歴史の先生:『ゔゞゞゞゞん。あんたは難しい質問をするな~ぁ゙。』私:『・・・この先生も返事をしてくれないんだ。と思ってました・・・』歴史の先生:『大きな声では言われへんから、こっちへおいで。』と小さく手招きをしました。で、私も歴史の先生について廊下の隅っこへ行くと、歴史の先生:『あんたが言うてるのは大東亜戦争のことやろ。』私:『はい。』歴史の先生:『あのな。他の先生に、この話を言わへんいうて約束してくれるのやったら、先生の意見を言うてあげる。どないや? 他の先生には言わへんか? 友達にも言うたらあかんねんで。どないする?』私:『先生と私だけの秘密ですね。』歴史の先生:『そうや。先生と、あんた、だけの秘密や。』私:『誰にも言いません。』と言って、指きり拳万の約束をしました。歴史の先生:『あんた、インパール作戦いうて知ってるか?聞いたことあるか?』私:『はい。聞いたことはあります。アジアで兵隊さんが沢山の死んでしまったんでしょう?』歴史の先生:『沢山の兵隊さんが死んでしもうてんけど、それだけと違うねん。』私:『え? 何かあるんですか?』歴史の先生:『それや!それや!』私:『え?先生、何??(?_?)?????』歴史の先生:『あのな。インパール作戦の意義が分かったら、大東亜戦争の意義も分かる。意味と違うで。意義やで。忘れなや。意義やで。そんでな、インパール作戦の意義を探すのも、あんたが自分でやるのやで。先生が言えるのは、此処まで何や。ごめんな~ぁ。堪忍やで。』と言って私の頭を撫でて次の授業のため別の教室へ行きました。これ以後ですね。私がインパール作戦について調べ始めたのは。このときの歴史の先生は定年間近の男の先生でした。職員室では大東亜戦争の話ができないと言っていましたね・・・若い歴史の先生に、こっ酷く怒られていたのだそうです。若い先生はバリバリ日教組だって溢してました。私は子供のころ用事があるとき以外は喋らない子でしたから、年取った歴史の先生も安心して話してくれたのかも。今とは正反対ですね。今は旦那に、うるさい。と言われてるよ。