『聖霊(みたま)の働き』の表現について
『聖霊(みたま)の働きかけ』と聞くと、何か超自然的、神秘主義的な響きに聞こえますよね。早い話が『空気を読む』って事なんですよ。だけど、『聖霊(みたま)の働きかけ』というのは自分の身の回りに起きる事柄から自分の求めている答えを見出すこと。自分は、今、どうすればよいのか?自分は、今後、どうすればよいのかを身の回りで起きる事柄から悟る事。だけど、ここで、よくよく注意をしなければいけない事は、『自分の心を大切にする事』です。無理をせず物事に拘らない事です。私はイエス様が好き。だけど家の近くの教会へは行きません。理由:身勝手な姿を見ると私がブチ切れるから。何が《身勝手か》というと、自分たちとは違う価値観を持った人に対して最大限の寛容を求めるが、自分達は寛容になる事を嫌う。このような身勝手な姿を見せられると私はブチ切れます。理由:統一協会と同類の価値観を持った人々の姿を、そこに見出すからです。実際に『「仲よし、こよし」が好きな人は今すぐに此処から出て行ってください。』と言われたことがあります。そういう姿を見せられるとね・・・新旧を問わず宗教なんて、みんな、同じじゃんか!怪しいじゃんか!って思いますよ。そもそも宗教というモノは仲良しこよしではないのか❓私はイエス様は好きだけれどクリスチャンにはなれません。だから『イエス様ファンクラブ』なんです。大槻博士が旧ブログを通して教えてくださいましてね😊大槻博士といえばガチンガチンの無神論者です。信仰の大変厚いクリスチャンによってイエス様から遠ざけられた私に、ガチンガチンの無神論者である大槻博士が【分類】という方法もあるんだよ。と博士が旧ブログで示してくれたのですよ。このとき私は始めて気付いたのですよ。無神論者であってもイエス様を好きでいる事が出来る!ってさ。😊私にとって最も自然な形である『イエス様ファンクラブ』としてね。これも『聖霊(みたま)の働き』ではないですか❓超自然的なもの、神秘主義的なものばかりが『聖霊(みたま)の働き』ではないですよ。だから、クリスチャンとは目線が違う。考え方も違う。同じ話を聞いても理屈に変換して憶えるし、そもそも私には『信仰的に、かくあらねば❗』という感覚はありませんからね。無神論者ですから。