ナシアスさんへ
私の場合、元信者歴より、信者の家族歴の方が圧倒的に長かったことを脱会後のリハビリを終了した後の気づきました。今は脱会後のリハビリではなく、隠れ信者を抱えていた家族のリハビリですね。信者の家族としての私は人生そのものを死ぬまで統一協会の信者をやっていたボケナスの兄貴に騙し取られておりました。兄は私の人生の記憶と功績を奪い取り、それを『自分の人生の足跡だ!』と言い続け、兄自身の人生の記憶を私に押し付けて『お前は情けない奴や。怖い事が起きたら木の陰に隠れて、いくら呼んでも絶対に出てこない。事が過ぎ去ったら問題を全て自分が解決したと叫んで飛び跳ねて大ハシャギしてたやないか!』と私に、これを約二十数年間言い続けていました。兄だけならなんとかできたでしょうが、、、兄の企みに母も加担していましたから親父も兄の話をうのみにして『みっともない情けない娘』と思い込んでいました。阪神淡路の震災が起きるまで。阪神淡路の震災の後、兄の話が全て嘘っぱちであったことがバレました。人間というモノは、どんなに嘘を吐かれて騙されていても、本人も『そうかな?そうかな?そうかな・・・・?』と思っていても、その本性までは騙せないわけで、阪神淡路の震災の後、私の本性が露になり、兄の悪質な嘘が白日の下に晒されました。が、、、親父は我が息子可愛さのあまり、兄の行いの全てに目を瞑ってしまいました。呆けナスの兄貴は両親に蝶よ花よと育てられた《箱入り息子》だったのです。なので今まで通り私はボケナスの兄貴と母のお母さん替わりをさせられ続けました。事実、母と兄は私の事を《お母さん》と思い込んでいました。私が結婚した後、親父が元気だった時に神戸の実家へ家の旦那の車で行ったことがありました。その時に、呆けナスの兄貴が家の旦那に向けて『婿殿が俺らのお母ちゃんを取ったから無茶苦茶困ってるねんで』と言ったらしいのです。家の旦那も訳が分からず『ワシは、お母さんと結婚したんじゃないんじゃが』と返したそうです。呆けナスの兄貴は『分からんかったらええわ』と家の旦那に言ったそうです。私は母を連れて買い物に行っていたので親父の家へ帰ってから、家の旦那から、その事を聞きました。私は旦那から話を聞くとすぐに『旦那から話を聞いたんやけど、いつから私が、あんたらのお母ちゃんになったんや!?』と兄に問いました。兄:『もう済んだことやねんからええやないか』私:『ええことあるかい。私が、あんたらのお母ちゃんやてどういうこっちゃ? 私が何時の間にアンタらのお母ちゃんになったんや? 言うてみぃ』(この時は親父も家にいたので私もオッサン言葉を使っていました。理由:親父はオッサン言葉でないと素早く理解できない。女言葉では聞き取りにくいらしい)親父は『Σ(゚Д゚;エーッ! お前(兄)は何を言うとんや! モモンは婿殿の嫁やないか!』兄:『それでも子供の頃から家の事も俺らの世話もしてきたんはモモンやないか。モモンが家のお母ちゃんやろ!』親父:『工エエェェ😱ェェエエ工。モモンは嫁に出したんやからな!これからはモモンを頼らんと自分の事は自分でせんかい!』と、兄の言動の異常さを悟らせるために親父は叱ったのですが、、、、、母が『もうええやないの! つまらんことを何時までもグチグチいうてから。お兄ちゃんがかわいそうやない!』と文句を言って話を終わらせようとしました。母子共助ってやつなのかな?この時は家の旦那も、その場にいましたから親父も、それ以上は言わなかったけれど・・・・私たちが呉に帰った後、親父と母の間にいろいろあったそうです。*****************************上記の出来事は脱会後のリハビリを終了した後に思い出した事柄なんです。私の場合、脱会後のリハビリだけでなく、信者を抱えていた家族のリハビリも必要みたいです。脱会後のリハビリを終了した後、いろいろな事柄を思い出しました。信者の家族時代の途切れ途切れになった記憶を思い出しながら繋ぎ合わせる作業をしていたら私の子供時代の記憶の大半をボケナスの兄貴と母によって書き換えられていたことに気づきました。だから私にとっては、これからも統一協会の話は続きます。たぶん、これからは信者を抱えていた家族の目線で見た話になると思います。