ワコールをつくった男 第6話 ”人材探しの旅”
将来、ワコールを作ることになる、塚本幸一は、会社は人材で決まると考えていた。このとき、ワコールの前身、和江商事は、塚本幸一が飛び込みセールス先でバッタリ再開した戦友の立花という男と塚本本人のわずか二人きりの小さな会社だった。この塚本の戦友、立花という男がなかなかの曲者(くせもの)だった。その後も、塚本は、戦争中、苦労を分かち合った人物を何人か採用するが。。。ことごとく、期待を裏切られている。戦場では、お互い助け合ってきた仲間であっても、それがビジネスの世界という異質なものになると、どうやら雰囲気が違うものになるらしい。塚本は、この時、人材に飢えていた。時は流れて昭和22年8月、塚本の卒業した、八幡商業で戦後第一回目の同窓会が行われた。戦争の傷跡の残る時期でもあり、出席者は十数名と少なかった。塚本は、ここで運命の男と出会う。川口郁雄だった。後に、川口はワコールの営業全体を支え、そして育てあげることになる男だった。関西の一企業だったワコールを、川口が東京支店長に就任し、じわじわと他社が持っているマーケットを切りくずし、全国区の大企業へと会社をアシストしてゆくのだった。しかし、彼、川口郁雄は、この時、三菱重工業の社員であり、とても塚本の小さな会社に入るような男ではなかった。塚本に対する印象も、それほどのものではなかったらしい。しかし、塚本は違った。同窓会が終わった後、たびたび川口郁雄の自宅を訪れるようになった。塚本は、自転車で頻繁に川口の家を訪問する。そして”川口君、失礼だけど、八幡商業しか出ていないのに、三菱重工業みたいな大会社にいても 仕方が無いぞ。先も見えているし、せいぜい課長どまりで定年までいるのが、関の山だよ。 出世の見込みはまずないよ。そんなとこおらんと、ウチへ来い。和江商事に来い。 その点、ウチの会社はまだ小さいが、やり方次第でどんなにもなる。””鶏口(けいこう)となるとも牛後(ぎゅうご)となるなかれ”や。*うしのお尻でいるくらいなら、ニワトリの口のほうがまだ良い!川口は、塚本に質問した。”おまえ、いま何しとるんや。会社には、何人おるんや。”塚本幸一”全部で、4人おる。”平然と応える塚本に、川口は唖然(あぜん)となる。そして、川口は、塚本に”そんなとこ、いけるか”誘いを断ったのだった。たしかに、三菱重工業にいても川口の出世には限界があった。しかし、そこは、天下の三菱重工業である。会社が潰れる心配もない。定年まで何の心配もなく過ごすことが出来る。しかも、当時は、まだ戦後復興の途上、多くの日本人は、その日の食事にも困っていた時代。なのに、いつ倒産するかもわからない和江商事に自分の将来を託せるはずが無かった。川口の婚約者も当然大反対だった。(後に奥さんとなる敏子夫人)”三菱にいたら、定年までおれるやないですか。そんなところ、行かないでください。”現在のワコールも、当時は、”そんなところ”と呼ばれる会社だった。しかし、それでも、塚本は、川口の獲得をあきらめなかった。昨日のブログに書いたコトバ。 成功者から学ぶこと。”それは、うまくいったことではなく、 なぜ、うまくいかなかった時に、あきらめなかったのかということ。” つづく