高遠城址公園周辺の散策
8月15日、盆休みの家族旅行4日目は16時頃になってやっと雨がやんだ。長野県伊那市の高遠町で何か見学できるだろう。16時58分、高遠城址公園の南ゲートに近い駐車場に着いた。道の反対側に城のようなものが見えたので、そちらに向かう。石段を上って近寄ると、それはお城ではなく巽櫓史料館という建物だった。後日調べたところによると、現在は公開されていないそうである。目立つので公園への道を間違えずにすんでありがたかった。信州高遠美術館の脇を通って南ゲートから公園に入る。少し歩くと、河東碧梧桐の句碑があった。足元は草が青々しており、木々が生い茂って日陰になっている。風が吹くとかなり涼しい。アブラゼミとミンミンゼミが鳴いている。町並みが見下ろせるかと思ったが、樹木がよく茂っているので枝葉が邪魔でよく見えなかった。さらに進むと靖国招魂碑があった。日露戦争に出征した人々の霊を慰めるためのものらしい。右折して荻原井泉水の句碑を過ぎると、高遠閣という建物が見えてきた。昭和11年に町に寄贈されたもので、国の登録有形文化財に指定されている。本来は集会所だが、観光客の休憩所として利用されているそうである。新しそうな建物だと思い、写真は撮らなかった。17時10分、南ゲートをくぐり外に出た。絵島囲み屋敷と伊那市立高遠町歴史博物館を目指して坂道を下る。17時13分、矢印に従うと目の前に平屋の建物が現れた。これは博物館の建物の1つだったのだが、絵島囲み屋敷と勘違いして写真を撮った。建物の前には高遠城主だった保科正之と生母お静の像があった。保科正之は徳川2代将軍秀忠の子供で、家光の異母弟らしい。ちなみに、博物館の入口はこの道をさらに進んだところにあり、屋敷を見るには博物館に入らなければならないようである。下調べを全くしていなかったので気付かずに引き返してしまった。もちろん、このときはもう閉館しており、入れなかったのだが。すぐ近くから高遠湖が見えるので、階段を上りながらのぞいてみた。人造湖でダムがあるのだが、全く気付かなかった。17時30分、駐車場に戻った。少し早いが、この日の見学は終了である。高遠城址公園のメインは北ゲートのほうだったようだが、行かずに惜しいことをした。やはり下調べは必要である。最後に、ここで見たナツズイセンの写真を載せておこう。まだ雨に濡れており、ちょうど見頃だった。今年の盆休みは雨が続いて毎日予定変更を余儀なくされた。雨が降った場合の予定をもう少しきっちりしておけばよかったと思う。日程をかえただけでちゃんと見学できたところもあり、短時間ではあるが山にも行けたのでそれなりに楽しかった。雨が降っていてもレインウエアを着て山に登れないこともなかったのだが、下山後、激しい雨が降ったこともあった。無理は禁物だと実感した。私が持っているレインウエアは登山用のではないため、汗で内部がびしょぬれになり、冷えるととても寒かった。山でこうなると非常に危険である。シーズンオフになったら、ちゃんとした登山用のレインウエアを買おうと思う。来年、使う機会があるかもしれない。盆休みの家族旅行の話はこれでおしまい。なお、今回の話はトップページ左下のカテゴリーの「盆休み2012」をクリックするとまとめて見られるようにしておく。