松江市の遺跡と石と宍道湖の嫁ヶ島
5月4日、GWの家族旅行4日目は島根県松江市を目指す。島根県松江市(旧宍道町)の女夫岩遺跡は山陰自動車道の女夫岩トンネルの上だというが、少しわかりにくかった。中央家畜市場周辺に目的地をセットし、車1台がやっと通れる一本道を東へと進む。車2台分くらいのスペース2か所を通り過ぎると左側に案内板があったが、車は止められない。さらに数m進み、左側にあった関係者以外立ち入り禁止と書かれた金属製の扉の前に止めた。歩いて引き返す。9時55分、階段を上って薄暗い斜面へと入る。9時59分、右側に巨岩が2つあった。女夫岩遺跡である。古墳時代中期から後期に祭祀に使われたとみられる土器片が出土し、県の史跡に指定されている。高さ4mもあるようには見えないが、期待通りデカい。おそらく、元々1つだった岩が木の生長に伴い真っ二つに割れてしまったのだろう。10時3分、車に戻った。同じく旧宍道町の来待ストーンミュージアムを目指して進んでいたら来待石灯ろう協同組合の敷地に進入してしまった。引き返し、右側からまわりこむと狭い広場があり、車数台分のスペースがあった。車を止めると、右側に石壁とトンネルがあった。駐車場ではなく、入口広場だったようである。10時17分、削った跡が無数についているトンネルを通り抜けると石の広場に出た。トンネルの左脇に来待石の採石場跡がある。この周辺に見られる1400万年前の砂岩で加工しやすいなどの特徴から燈籠に使われた。周辺にはタヌキの石像が並んでいる。トンネルの右側にはタヌキの石像が立っており、「縁結びたぬき 真実の口」と書かれていた。「ローマの休日」のパロディーだが、若者は知っているだろうか。10時29分、建物の中には入らず、車に戻った。松江市(旧玉湯町)の玉造温泉の中心部へと入って行く。玉造郵便局の前で左折し一本道を突き当たりまで進むと岩屋寺跡横穴群の矢印があったが、無視して左折する。車2、3台分のスペースに止めて歩いて引き返す。10時51分、3分ほどで石段に着いた。ここを上ったところが国指定史跡の岩屋寺跡横穴群らしい。竹林の中を進む。道はしっかりしている。10時55分、古墳が2基並んでいた。向かって左側は柵の間から石室内部が見える。 もう一方は無理である。案内板によれば右の古墳は前後2室あるというが、右って、見えんほうか?11時5分、車に戻った。松江市の田和山遺跡は国指定史跡である。松江市立病院の移転に先立って行われた発掘調査により、3重の環濠をもつ弥生時代の遺跡であることがわかった。環濠集落ではなく、戦の拠点となった城のようなもの、あるいは祭祀に使われた場所だと考えられている。史跡公園の西側入口の駐車場は数台分しかなく、なんとか止められた。11時22分、案内板の横にあったパンフレットを持って階段を上る。掘立柱建物跡が見える。こげ茶色の円が柱のあったところである。側には復元竪穴住居があった。便宜上、住居と呼ばれているが、この遺跡の建物では生活したような跡が見られないらしい。しばらく歩くと貫入玄武岩の案内板があった。この辺りらしいが、草でよくわからない。段差は環濠である。11時34分、山頂部ゾーンに着いた。天気が良ければ宍道湖などが見えるが、たまに小雨がパラつくので無理である。柱の跡には短い杭を立ててある。5本柱遺構下をのぞくと3重の環濠がよく見える。突き当たりに2号墳と書かれていたがよくわからなかった。遺跡が使用されなくなった後につくられたものらしい。ここから環濠部ゾーンに入る。北側住居部ゾーンには復元された土屋根竪穴住居や焼失した住居の跡がある。 南側は特におもしろいものはなさそうだったのでスルーし、西側入口へと戻る。11時48分、駐車場に着いた。少し休憩し宍道湖を目指す。12時10分、島根県立美術館の敷地内にある臨時駐車場に入る。混雑しているのか、2時間以内でお願いしますと書かれていた。外に出て嫁ヶ島に向かう。宍道湖のほとりにはキンクロハジロのメスやオオバンがいた。ラムサール条約の登録地だが、このときは珍しい野鳥は見つからなかった。足元にはおびただしい数のシジミの貝殻が積もっている。湖のほとりにあるのは袖師地蔵と石灰地蔵である。嫁ヶ島は約1200万年前の玄武岩の溶岩からなっているが、ズームしてみるとかなり平べったく人工物のように見える。端のほうの岩は溶岩らしく見えた。12時25分、駐車場に戻った。見学はここまでで、その後はメシを食ったり土産物を買ったりして過ごした。GWの話はこれでおしまい。