【あたり前が輝くとき】
【あたり前が輝くとき】 ●「あたり前」をあたり前でなく、 「ありがたいもの」と一つひとつ 「いただいて生きる」時、 生活は退屈なものでなくなる。 平凡は非凡になる。 ありがたいとは、 有り難いことなのだから。 (by 渡辺和子)________________________________________ 渡辺さんの大学では毎年、500人ほどの方が卒業されていた そうです。 その内の一人が、卒業後、病気で入院した時のお話です。 在学中はとても元気だったので、渡辺さんが心配してお見舞いに いかれました。 すると、彼女は次のようなことを言いました。 「自分をこんなからだに生んだ親が憎い」さらに、 「自分はもう結婚できないかもしれない」と。 それから数年後、渡辺さんにその彼女から届いた手紙には、 こう書いてありました。 「ようやく外出許可がいただけて、久しぶりに地面を踏んだ ときには感激いたしました。いまの私には、あたりまえが すべて輝いて見えます」 渡辺さんは、彼女が元気を取り戻してくれたことを、とても嬉しく 思いましたが、それよりももっと嬉しかったことは、手紙にあった 「いまの私には、あたりまえが輝いて見える」という言葉でした。 渡辺さんいわく、 『入院中、他人にしてもらっていた洗濯が自分でできる。 あたりまえのことですが、時には煩わしいと思えることが 彼女には輝いて見えたのです。 自分で料理をするということも、お掃除をするということも ありがたいと思える。 その気持ちを、一生忘れないで生きてほしい』 と述べています。 (参考文献:渡辺和子著 「現代の忘れもの」 日本看護協会出版会)________________________________________ *あたり前のことに、忘れてはいけないありがたさがある。 毎日、一度ぐらいはこの言葉を思い出してみたいと思います。