【悟りとはどんな時でも平気で生きること】
【悟りとはどんな時でも平気で生きること】 『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』 この俳句で有名な正岡子規。明治35年に34歳の若さで亡くなりました。愛媛県松山市生まれ。帝国大学(現在の東京大学)の国文科で学びます。俳句をはじめ、文学者としての才能をもっていました。27歳で結核になり、亡くなるまでの7年闘病生活を続けます。生涯で約24.000以上という、俳句を作りました。大変な創作意欲をもった人でもありました。また人間としての真の強さを備えた人でもあったようです。亡くなったのは明治35年9月ですが、その年の5月の随筆にこう書かれています。「病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病牀が余には 広過ぎるのである・・・・。余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ 事を誤解して居た。 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たの は間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居るこ とであった」 (※注:「病牀」とは「病床」のこと。「六尺」は約180センチの長さ)淡々と書かれていますが、結核菌で皮膚も侵されていて、お尻、背中には穴があき膿が流れ出るような状態でした。その、状況下でもこれほど「生きる」ことの意味を考える正岡子規の強さが尚一層、感じられます。________________________________________ 正岡子規の句の中から 『故郷やどちらを見ても山笑ふ』 『春の日や病牀にして絵の稽古』