【平等にこだわると没個性になります】
【平等にこだわると没個性になります】 生きていくとき、人との競争や比較されることから逃れられないのが社会の 仕組みです。 この仕組み自体、昔も今もまったく同じではありませんが、大きな枠組みとし て変わりはありません。 また、この仕組みがあることで、人間社会は発展してきたともいえます。 しかし、これが競争社会の弊害とされ、たとえば小学校では通知表の5段階 評価は問題だという時代になりました。 ただ、競争意識にこだわるのは問題ですが、競争はダメということになるなら、 個性というものの価値がなくなります。 つまり没個性では、切磋琢磨の精神は生まれにくくなるかもしれません。 真の平等とは、お互いが尊重し高め合い、それぞれの能力や力の違いを認める ことです。 その上で人の評価するときは、優劣の関係をあきらかにするのではなく、ある 人の不得意は違う人の得意なものであり、それを認めるのも教育の一つの形だ といえます。 つまり、優劣の世界ではなく、認め合う世界です。 ある心理学者のところに、小学生の子どもさんが不登校になったという母親の 相談がありました。しかも3回目の不登校だそうです。 周囲の目もあり、どうにかして学校に行かせたいという親の気持ちも理解でき ます。 その心理学者はこうアドバイスしました。 「不登校になったことが悪いと、誰が決めたのでしょう? 大切なのは、どうして不登校になったのか原因を取り除いてやることです。 まず、これを考えましょう。 お母さんにも言えないことがあったのかもしれない。 ですから、お母さんはどんなことがあっても子どもさんの味方になるという 気持ちを持つことが大事です」 不登校という事実は、子どもさんの個性が表れているということです。 不登校せずに学校に行くことが、平等であるとはいえないのです。 母親として、子どもが不登校になったことを悩んでも、不登校の事実を受け止 めない限り問題は解決しないことを心理学者は言いたかったのです。 母親の立場として、何ができるかを考えることが子どもへの愛情です。 不登校になったけれど、それが子どもの個性的な生き方だと認めることが大事 なことかもしれません。 人にはそれぞれの個性があり、人は個性的な生き方をする存在です。 没個性よりも、個性を出す生き方で人は輝くことができます。 (by ハートリンクス)