【被災された皆様方へ】
【被災された皆様方へ】 このたびの地震災害によって、被害を受けられたすべての方々に 心からお見舞いを申し上げます。________________________________________【天災を慈愛で乗り越えよう】 (2021年2月17日のものを再掲します) 江戸時代の中頃、越後(現在の新潟県)に伊藤文吉という豪農がいました。 八代目の当主は2016年に亡くなり、九代目からは途絶えましたが現在でも 広い屋敷は残されています。 初代の伊藤文吉の時代に、東日本を含む大きな飢饉が起きました。 天明の大飢饉といわれるものです。 この飢饉では食料もなく、農民は生きていくことさえ厳しい状況でした。 そんな時、伊藤文吉は近隣の農家に声をかけました。 「うちの庭園に築山(つきやま)を造ってください。 ただし、機械は一切使わないでください。 大八車(だいはちぐるま)も使わず、手で造ってください」 というものでした。 機械や大八車を使えば、時間もかかりません。しかし文吉は時間をかけても いいからと手で運ぶことにこだわりました。 というのも、文吉には考えがあったからでした。 土を手で運ぶのであれば小さな子供や、力のない老人にもできる作業です。 しかも、どんな人にでも同じ賃金を払おうと計画しました。 できた築山は、高さが約5メートル、幅は10メートルほどの小さい山でし たが、かかった日数は3年6ヶ月です。 その期間、当主の文吉は農民たちに賃金を払い続けました。 3年続いた飢饉もおさまり築山が完成した時、農民の人たちは言いました。 「文吉さんのおかげで、一家心中しないで済みました。あの仕事のおかげで どれほど助かったかわかりません」。 伊藤家は農家を営みながら、藍染めの仕事も手掛けていました。 農家の人々は恩返しのために、藍染めの仕事を依頼するようになり、伊藤家 も助かりました。 現在、敷地8800坪、部屋数は65もある伊藤家の建築物は、博物館となっ ていますが、1964年マグニチュード7.5の新潟大震災で2万戸近くの家が 被害を受けたときも、伊藤家には被害がなかったそうです。 また、お金と違う方法で、天災に遭った人たちに勇気を与えた人がいます。 2011年東北大震災のとき、漫画家のやなせたかしさんは、被災地のみなさ んにどんな励ましの言葉もむなしいのではないか、自分には何もできないの ではないかと思い、茫然とするばかりでした。 ところが、震災から3日後、あるラジオ番組に、 「アンパンマンのマーチを流して下さい」というリクエストがきたのです。 さっそく放送したところ、被災地ではラジオに合わせて大コーラスが始まり 大人たちも涙をこぼしながら歌ったそうです。 そして、連日、地元のラジオ局ではこの曲を流しました。 このニュースを聞いて、やなせさんは、 「そうか、ぼくにできることは、心に傷を負った子どもたちを元気づけ、 励ますことだ」 と思ったそうです。 その後、震災地にポスターを送り、チャリティーコンサートを始めました。 震災でショックを受け、まったく笑わなくなった子どもが、アンパンマンの ポスターを見て笑い出したとき、横にいたお母さんが泣き出したということ もニュースで流れました。 やなせさんは、自分が生み出したアンパンマンが、少しでもみんなの役に立 ちとてもうれしかった、と語っています。 困っている誰かにために、励ましや勇気を与える、慈愛の心は忘れないでお きたいと思います。 (by ハートリンクス)