【監督の器】
【監督の器】★元プロ野球監督・野村克也さんの言葉から―◎「組織はリーダーの力以上には伸びない」 これは、たびたび述べている私の持論であり、組織論の原則である。 これに照らせば、チームは監督の力以上には伸びないし、監督の器以上には大 きくならない、という意味になる。 それでは監督の「器」とは何か――あらためて私は考えてみた。 まずは「人望」。 どうも私にはこれが欠けているようなのだが、これはプロ野球の監督にかぎら ず、すべてのリーダーに必須の要素といえるだろう。 選手をして「この人についていこう」と思わせられるか、人間的に尊敬でき、 信頼に足る人物かということは、選手を統率し、ひとつの目標に向かわせるた めに絶対に必要な要素である。 次の「度量」とはまさしく器そのものだ。 監督は、近視眼的であってはいけない、つねに広い視野をもってチームや選手 を眺めておく必要がある。 コーチであれば、目の前の試合やいま選手が抱えている問題点などに集中して いてもかまわないが、監督はそうはいかない。 また、度量ということは選手を見る目にも関係する。 「固定観念は罪」だと私はよくいうが、「こうしなければならない」「こうあら ねばならない」という視点で選手に接しては、才能や可能性を摘み取ってしま うおそれがある。 いい例がイチローだ。 彼がプロ一年目だったと思うが、オープン戦のとき彼のバッティング練習を見 て私は、「すばらしい選手だ」と思った。すごく印象に残った。 だが一向に一軍に上がったという噂を聞かない。それで翌年にまたオリックス ・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)と対戦したときに、オリッ クスのフロントにいた知り合いに訊いてみた。 「あの鈴木という選手、どうしているんだ? いらんのならうちにくれ」 するとこういう答えが返ってきた。 「土井(正三)監督が使わないんですよ。『あんな打ち方でプロの球が打てる わけがない』って……」 当時からイチローは、のちに彼の代名詞となる振り子打法で打席に向かってい た。そんなフォームの選手は過去にいなかったから、土井は「通用しない」と 考えたのだろう。 だが、それこそ固定概念以外の何ものでもない。 あのまま土井が監督を続けていたら、次の監督になった仰木 彬が抜擢しなか ったら、いまのイチローはなかったかもしれないのである。 「固定観念は罪」とはそういう意味である。 異分子や異端児であっても、頭から拒否せず、しっかりと能力を見極めるだけ の度量が監督には必要なのである。 また、一度の失敗で選手に「失格」の烙印を押してもいけない。 本人が失敗の原因を理解し、足りないものを自覚することで、大きく成長する 可能性があるからだ。 私は「失敗」と書いて「せいちょう(成長)」と読むことにしている。 そうやって選手が成長すれば、長期的視野に立てばチームにとってメリットの ほうがはるかに大きいのだ。 監督はそのことを忘れてはいけない。 (参考文献:野村克也著 「あぁ、監督」 角川書店)________________________________________ *たいへん重みのある言葉です。 監督という立場には、管理、教育、育成という側面も求められます。 しかし、やはり人間らしさ・人間くささのようなものがないと人はついて いかないものです。 ここでは、固定観念を持つべきではないということにふれていますが、固定 観念で人を見るのは、自分の価値観でしか人を見れないのと同じです。 そこには、自分の価値観が絶対であるという、傲慢さに近い自信があるのか もしれません。 人はこのことに、なかなか気づかないものです。 監督の持つべき資質は、スポーツ以外の世界にも応用できることがたくさん あるはずです。 人望(人間的魅力)と度量(視野の広さ、心の広さ)。 私たちも身につけたいものです。