【「今が幸せ」と思えば、悩みは軽くなる】
【「今が幸せ」と思えば、悩みは軽くなる】 人は当たり前のことに、幸せだなという気持ちになりにくいものです。 本当は当たり前が、一番いいことなのですが、つい今よりもいい生活をした いという欲求が生まれてきます。 もちろん、この向上欲求があったからこそ便利な社会に変わってきたのは 事実です。 その意味では、当たり前なことに満足しないことが人類発展の原動力になった といえるでしょう。 問題は、生活の利便性と快適さが向上するとともに、心の面の向上も比例して 向上していく必要があることも大事です。 たとえば、エアコンのない時代は暑さ寒さを少しでも和らげて、快適に暮らせ るような工夫があり、それ以上に、暑さや寒さがあるから、お米や野菜が育ち 私たちは、それを食して生きていくことができると考えました。 そのような感謝の気持ちを自然や神様に伝えるために、“お祭り”という風習が 生まれ、それが人の心を潤してきたのです。 つまり、不便なことが当たり前なことだと思いつつも、「ありがとう」という 感謝の思いを忘れなかったのが、私たち人間です。 この精神が、「足るを知る」という言葉になったのでしょう。 「足るを知る」ということがわかると、心が安らかになるものです。 少々不便でも、「今が幸せだ」と思うと、不平や不満も軽くなります。 こんな話があります。 ある商社マンが出張でアメリカに行き、仕事をしていました。 アメリカは広いので、自動車での移動も大変です。 ある日、その商社マンは交通事故に巻き込まれてしまいました。 大けがで病院に搬送されますが、不幸にも左足を切断しなければならない ことになったのです。 本人は、自分の不注意で事故が起きたわけでもないのに、なぜ自分がこんな 不幸な目に遭うのか、と悲嘆にくれていました。 日本にいた奥さんは、知らせを聞き急いで病院に駆けつけました。 そして、奥さんは病室に入るなり、ご主人を抱きしめ次のように言いました。 「あなた! よかったわね! 命は助かった! 右足は残ったじゃない!」 この言葉は、簡単に口に出せるものではないかもしれません。 しかし、よく考えてみると、今ある現実の出来事をどうとらえるかで、今後の 人生は大きく分かれるのです。 奥さんもどんな言葉で慰めてあげればよいか、苦しんだことでしょう。 しかし、不幸な出来事にでも、残された幸せはあるのです。 そこに目を向けていくことが、人が生きる強さでもあるのです。 私たちは、自分が思っている以上に強いものでもあるのです。 強さには、生命力や心の力などを内包していると言えます。 禅宗のお寺でよく見かける文字に、 「吾唯知足」(ごゆいちそく)。 『われ、ただ、足るを知る』という意味です。 目の前のことに感謝できることはないだろうか。 あれがないと不便だ、これでは少ない、もっとたくさん欲しい、と思う前に 足るを知る心がけ、心の持ち方につとめましょう。 (by ハートリンクス)