宮沢賢治『やまなし』(6年性)・学習指導要領
誰が、言っているのか、そのことが、はっきりしないと、読み聞かせは、できないですよね。このことは、絶対、あいまいにできないことですね。表現よみの会をしていて、そのセリフ、誰が言ったのか、確定してない読み方をしているので、それは、誰が言ったの?と聞くと、確定しないで、あいまいのことか時々、あります。表現よみは、入るなりきるのりうつるであると、言われています。これは、作品にはいる、人物になりきる、作品を自分のものにし同化することなのでしょうね。ここで、考えの資料にしてみたいのが、宮沢賢治の『やまなし』です。このやまなし、誰が、言っているのか分からないセリフがあります。それでも、誰が言っているか、決めないと、音声化ができませんね。では、それを、どうしたか、そのことを書いたブログがありますので、再録して、整理してみたいと思います。 ・・・・・・・・・再録・・・・・・・・ February 24, 2007 教師も迷った誰が言っているか・・・『やまなし』(宮沢賢治) [ 文法 ] CDに『やまなし』を入れるので、50歳過ぎたベテランの5人の教師が集まりました。それぞれ、下読みをして練習をしてきています。集まったみんなの最初の一声が、「会話があるのだけれど、誰が言っているのか自信がなかったわ」でした。そうなのです。このやまなしは、そう書かれているのです。先ず、それをご覧下さい。 会話が、ずらりと並んでいます。誰が話したか、書いてありません。けれど、作品を読解し、表現よみをするには、誰が言ったのか、これを確定しない限り、表現よみはできませんね。ですから、表現よみは、ちゃんとした読解を求めてくるのですね。このことは、表現よみは、読解力高めにもなるということですね。さて、この『やまなし』の誰が言ったかを確定することですが、これは、文章全体を読んで、そこから決めていくより他ありませんね。(総合)読み進めていくと、「かにの兄弟の2人」が言っている事は分かってきます。ですからこれは、お兄ちゃんが言っているところと、弟が言っているところにわけられます。(分析)そこで、僕らは、会話の内容から、決めました。その決まったものが、下記です。 弟は、みどり、兄は赤で区別しました。この誰が、(何が)は、文章を読んでいく時には、どうしても明確にする必要があることなのですね。文ちゃん人形の頭に当たる部分ですね。ここで、録音した先生方は、国語科に力を入れている50歳すぎのベテラン教師です。これまで、何度か、子どもに指導をしてきたはずです。それは、誰が言っているか、確信が無いままだったのでしょうかね。表現よみを迫られ、それを確定せざるを得なくなった。そこで、今回のような事が分かったわけです。子どもだって、誰が言っているか、明確にしなければ、分からないし、楽しく読めませんね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・このやまなしについて、次のようなコメントを下さった方がおります。これは、誰が語ったかそれをはっきりさせるのが、一人では、大変だったからかも知れませねん。・・・・・・・・・・・・・Re:『やまなし』(宮沢賢治)の中のクラムボンは?(02/25) まるちゃん1100さん お恥ずかしい話ですが、私はこの作品読み聞かせする自信がなくて、図書館で本を選んでいるとき、戻してしまいました。。。良い話なのでしょうけれども、私は賢治作品で唯一これが苦手かもしれません。先生はそういってられませんよね(笑)。(February 25, 2007 20:01:13) ・・・・・・・・・・・・・・・・本日は、どのような場合でも、誰が言っているか、そのことを明確にすることについて考えました。 皆様のコメントなどから、大事なことを学ばせて戴いています今日さんです。とにかく、ご訪問ありがとうございます。それが、今日さんが書くエネルギーになります。コメントいただければ、なお、うれしいです。 このブログの応援クリックを戴けますと、なお・なお、うれしいです。それは、下記のマークです。一日、1っ回有効です。 下記の本は、研究会がまとめたものです。絵をクリックしますと、本の概略が分かります。尚、本書は、1~6年まで、各学年あります。各学年の教科書教材の授業報告があり、子どもと教師の表現よみが、CDに入っています。