● 突然ケッタイナ行動に出る。それを人は「妖怪」と呼ぶ
♪ 妖怪を見届けている平成の最後の月の幸あれかしや‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今から書くことは内緒である。内緒ではあるがこれは日記でもあるので書いておかなければならない。お祖母さん(私からは義母になる)のことである。当年とって87歳か、そんなところ。一昨年の6月、変人なので押し入れをベッド代わりにしている。どういう訳かそこから下りる時に足に全く力が入らず、踏ん張れずにそのまま落ちて腰を打ってしまった。立ち上がろうとしてまた打って、手や口の辺りも打ったようだった。 低血圧だったか一過性の脳貧血か何かだったのだろう。医者が嫌いで、薬にはアレルギー反応も出るしで、何があっても医者に掛かろうともしない。元々胃腸が弱い上に、今回の事でロクに食べられなくなった。 二日後に、娘家族全員と中部空港セントレアで食事会の予定があって、ひ孫の顔を見たいと言っていたが、さすがに前日になって断念するとのことだった。娘たちが今回の事で、大分弱っているので食事会で全員と会えるのもこれが最後だろうから、何とか連れて行ってやりたいということになった。 当日、セントレアのカウンターで車椅子を借り、駐車場から長い通路を南端にある店まで私が押していった。腰も痛いし胃の具合も悪いままらしく、結局ほとんど何も食べられず。食事も高い割には大したこともなく、接客もあまり良くない最低の店だった。日曜というのにガラガラの理由がよく分かった。 この事をきっかけにして、お祖母さんの体力は落ちていくばかりで、もう長くはないかなぁと皆が覚悟を感じ始めていた。この間、お祖父さんを一度、脳に詳しいクリニックの先生に診てもらったところ、少し萎縮は有るが何の問題もないとのお墨付きをもらっている。何せ94歳だ、呆けてもおかしくない歳で、物忘れが目に付くし殆ど喋らない。セントレアでも、トイレに行ったっきり戻ってこないので、心配で見に行ったら、どうやら戻る方向が分からなくなったらしい。その事を悟られることを危惧している節もあって、ボケというより物忘れの度合いが大きい程度なのかとも思いつつ、この際診てもらっておくかと。 お祖母さんは呂律があやしい感じもあり心配していたが、半年後には肉体的な部分は元に戻っていった。年末恒例の全員での食事会にも参加しているし、あんなことがあったのが嘘のような回復ぶり。これには娘二人が驚くやら呆れるやらで、怪物かいや妖怪だわと言う有様。口が悪いので、他人に世話になったことに対しての感謝も無く、自分の不平不満を当たり散らすので閉口させられっ放しなのだ。 毎日の買い物やら食事の世話をしているのに、ことごとく忘れてしまう。アルツハイマー性の痴呆がかなり進行して来ているのも確か。本人はそれを認めようとはしないし、何度言っても脳に記憶されないことに辟易させられている。用意した食事は食べていないし、食べるものが何もないと電話してくる。何でもかんでもどこかにしまい込んでしまう癖も酷く、とんでもないところから菓子や食べ物が出て来る。買い物は代行しているので必要ないのに「金がない。持って来い」再三再四電話をかけて来る。渡せばもうどこかに仕舞い込んで忘れてしまう。「どこかにやってしまうので、預かっておくからね。」と、娘二人が管理しているその了解済みのことを、全く覚えていないので始末が悪い。 あれだけ弱って「もう近いかも知れない」と噂していたのが嘘のような回復ぶりで、食欲も旺盛なので、食い物の事で諍いが起こる。自分には非がないと思い込んでいるので、如何ともしがたい状況なのだ。 しかし、昨年の夏はやたらに暑かったが、団地の二階に住んでいるがクーラーが無かった。さすがのお祖母さんも食欲がなくなり、元気がなくなった。心配になり、掛かりつけの医者に嫌がるのを無理やり連れて行った。「こんなに具合が悪くてしんどいのに医者に連れて行くなんて」と、訳の分からないことをぶつくさ言って困らせる。本人に自覚があったのかどうか分からないが、「心房細動がある」と言われて帰って来た。 これは、心房といわれる心臓の上の部屋が小きざみに震え、十分に機能しなくなる不整脈のひとつで、 動悸がしたり、めまいや脱力感、胸の不快感を感じたり、呼吸しにくい感じがしたりすることもあるもので、自覚症状のない人も多いらしい。まあ不整脈なんて私も起こるし、余程のことがなければ放っておいても良いものだ。 多分、暑さにやられたいわゆる熱中症の軽い症状だったのだろう。苦しそうな声を上げているので、往診でもしてもらおうかと言っても、当然拒否される。このままじゃああんまり良くないということで、ウィンドクーラーを買って来て取り付けた。 夏も過ぎて、お祖母さんの回復が目覚ましく、腰を打って具合が悪くなった時よりも元気になった。言ったことを覚えていて驚かされたり、金の事を言う度合いが酷くなった。「通帳と印鑑を持ってこい。」「金が全然ない。なんでこんなひもじい思いをせんならんのか。」「金を数えていないとボケるがね。」とか言って困らせる。確かに貯金は驚くほど有って、慎ましい生活をしながら貯め込んでいたらしい。何かの拍子にその頃の事が蘇って来るらしい。そして、夜になると「金がない!」と不安が押し寄せて来るらしいのだ。 金は金融機関に預けてあるので手元には無いので、新聞記事にたまにある「布団の下に札束を敷いて死んでいた」なんていう事にはならないが、そんな老人の姿がダブってくる。金を貯めることが生き甲斐だったのだろう。生い立ちや育った環境、生き越しの生活状況を思えば納得できる部分もある。しかしやはり、人柄とか人徳が云々となるといささか肯定しがたい部分の多い人ではある。 自己中心的でマイペース。こりゃあ私と同じか。反面教師も世の中には必要な存在で、悪があるから善が成り立つ。母娘の関係もいろいろだろうけど、悪態をついて怒鳴り散らす母親でも憎たらしいのはその瞬間だけであって、そうでない時は話好きのまあ頭がいい人ではある。お互いに面と向かえば穏やかな会話ができるのに、電話となると豹変する。それは視覚からの情報がない分、脳内に湧きあがる悪いイメージや怒りだけが増幅されて、抑えが利かなくなるのだろう。 年を取ると抑制が効かなくなり、あちこちで問題を起こしている老人が目に付く。自分に対する不満、世間や社会に対する不満が鬱積していることが原因だ。その鬱積が問題なのであって、ガス抜きが出来ないまま老いさらばえているのは悲しいことだ。 いくら何でも押し入れで寝るのはやめた方が良いと、スノコベッドを買って来て日当たりのいい部屋に設置しても嫌がってそこで寝ようとしない。確かに狭くて囲われた中は落ち着けるのもわかるが、健康的には悪いに決まっている。そう思いつつもそれで今や86歳でピンピンしていることを考えると、一般論は絶対ではないということを知らされる。 成長期に病弱だった人が長じて、スポーツ選手になったり長命で大往生した話などいくらでもある。弱点を補うために免疫細胞が活性化し、根本的な生命力がより強化されることで丈夫な体になるのだろう。お祖母さんもそういう人に該当するようで、根本的には強い生命力を持っていてそれが発揮されているようなのだ。 半年ほど前からスノコベッドに寝るようになったらしい。乗り下りも楽だし、何かと都合がいい事がようやく分かったのだろう。そのベッドの向きがしょっちゅう変わるらしく、自分でいろいろ変えて楽しんでいるらしい。あれだけ体力が落ちて老境を彷徨うのかと思っていた人が、今ではあの頃よりも元気で、電話の声にも張りがあり言葉も滑らかで驚かされる。 化け物だ。86歳になって若返ってどうする。何がそうさせているのか見当もつかない。大きな目標とか夢があるわけでもなく、ただ日に日を継いでその日暮しをしているだけにしか見えない。言わないだけで何か有るのか? 外部からは窺い知れない強い何かを持っていて、突然ケッタイナ行動に出る。それを人は「妖怪」と呼ぶんじゃないか。 この妖怪が、何時、何を見せるのか。まだ当分は元気で居そうな状況なので、注意深く観察することにする。 そうそう、お祖父さんも94歳でまだしゃんとしている。TからS、HそしてRまで恙なく、背筋もピンとしているし食欲もある。夫婦そろって、この分じゃプラチナ婚も夢じゃなさそうだ。痴呆で寝た切りとか徘徊とかも無く、そういう部分では娘たちに迷惑をかけることもなく、娘孝行な親だと思う。こっちの方が先に逝くかも知れない。 長い長い文章を最後まで読まれた方(いないかも知れないが)、ありがとうございます。推敲する時間もないので誤字脱字、変換間違いなど有るかもしれませんが、悪しからず。