SL兄弟それぞれの運命
SL兄弟それぞれの運命武庫川女子大学教授 丸山 健夫 甲子園球場から南へ百㍍ほど。兵庫県西宮市の月見里公園がある。街中の小さな公園ふぁが、その片隅で蒸気機関車が一台、ひっそりと余生を過ごしている。機関車を覆う金網の目が細かいので、遠くからだと何があるのかわからないときもある。C11形という小型のSLだ。唱和二十年十二月二十八日、このC11形の三一一号機は、名古屋の日本車両の工場で誕生しました。戦時型というモデルで、本体上のラクダのコブのような上記ドームが、制作しやすいように鉄板の張り合わせになっている。本来ならお碗のようななめらかな曲線に加工されるところだ。同じ年、戦時型の二九二号機も、二月十一日に同じ工場で誕生する。二台は同じ工場の制作ラインに並んでいたかもしれない。月見里公園の三一一号機にとって、二九二号機は兄といえる存在である。その兄は完成後、兵庫県姫路機関区に配属され、姫新線や播但線などで、客車や貨物を引っ張り出した。六年後の一九五一年。弟の三一一号機が同じ機関区にやって来る。二台はその後、姫路でSLが廃止となる一九七二年までの二一年間、仲良く一緒に働いた。この兄の二九二号機こそが、東京・新橋駅西口のSL広場にある蒸気機関車なのである。新橋の兄は誕生から姫路一筋で、引退と同時に新橋にもらわれた。いつもきれいに整備され、クリスマスが近づくとイルミネーションで飾られ、多くの人たちの目に触れ、親しまれている。一方、弟の方は、金網の中で毎年、さみしい年末を迎えている。見た目、性能、来歴が、まったく同じといえる二大のSL。兄妹の運命を環境の違いを知り、いろんな想いが私の胸にこみあげた。 【すなどけい】公明新聞2021.11.12