信仰とは何かにすがることではない
岩国基地の町【一月二十一日】大阪から列車で山陽路を下った池田室長は、岩国駅で降りた。明け方、零下二度まで下がったが、北風は弱い。パルプ工場の煙突から、まっすぐ上っていく。拠点の「小池旅館」で弘教が順調に進んでいるとの報告を受けた。 *岩国ほど戦争の犠牲を強いられた都市もない。空襲で駅周辺が焼け落ちたのは、昭和二十年八月十四日。あと一日、終戦が早ければ・・・・・・。翌日、人々は焦げ臭い瓦礫の街で膝を折って、玉音の放送を聴いた。戦後は米兵が駐留した。米軍に破壊されながらアメリカ抜きで暮らせない矛盾。軍艦が入港すると、水兵がどっと基地ゲートから繰り出す。繁華街の看板は英語で、日本人はシャットアウト。すこぶる金払いがいい。カウンター下にビール箱。店主が足で、ぎゅうぎゅうにドル札を詰め込む。いくら外貨が落ちても、ただちに幸福と結びつくわけではない。誰もが難問を抱え、室長の前に現れた。事業不振。詐欺事件で破産。盲目の子ども。重い皮膚病・・・・・・。室長の指導は厳しかった。いくら泣いて、他人や社会を恨んでも幸せになれない。信仰とは何かにすがることではない。甘えでも、逃げでもない。自分が強く生きるしかない。 *米兵と結ばれる女性も多かった。化粧を落とした座談会に現れる素顔は、あどけない。婚約者の兵士と手をつないでくる人もいた。父や兄の世代を戦争で失い、頼る者は米兵しかいない。漠然と"これで幸せになれる"と信じる者が多かった。幹部は強く言い切った。「勘違いしてはいけない。アメリカがあなたを幸せにしてくれるわけではない。あなたが強く生きるしかない。そのための仏法だ」室長の直伝の指導である。戦争花嫁はアメリカSGI(創価学会インターナショナル)の草分けとなっていく。岩国は学会が世界へ伸びていく出発点ともなった。 【平和と文化の大城「池田大作の軌跡」】潮/07年10月号