小乗仏教が女人成仏を否定した理由
小乗仏教が女人成仏を否定した理由こうした動きの中で、成仏できるのは男性だけ(その中でも在家を除く)であり、女性は成仏できないという主張が出てきた。その女性差別の主張が、どのようにして出てきたのか、梶山雄一博士の考えを参考にして検討してみよう。『現代思想』(青土社)一九七七年一月号に掲載された「仏教における女性解放運動」、および梶山雄一著『空の思想』(人文書院)の中の「仏教の女性観」という論文において梶山博士は、仏滅後に女性が成仏できないとされるに至った理由として、➀過去七仏と、未来に仏として出現するマイトレーヤ(弥勒)菩薩に対する信仰による。②釈迦滅度における教団の比丘尼の地位低下による。③釈尊の神格化において三十二相の考えを取り入れたことによる。④女性の出家を許す際に出された八つの条件(八重法、八敬法)による。の四つを挙げておられる。この四項目について、ここでさらに検討を加え、考察してみよう。まず第一点目について解説すると、釈尊滅後になって仏は釈尊だけではなく、釈尊以前にも➀毘婆尸仏、②尸棄仏、③毘舎浮仏、④拘留孫仏、⑤拘那含牟尼仏、⑥迦葉仏——の六人の仏がいたという過去七仏の考え方が出てきて、釈尊は七番目の仏であるという信仰が仏教徒の間に広まった。また、五十六億七千万年後に、マイトレーヤ菩薩が釈尊の後継者になるという信仰が生まれた。この二つから、ブッダになることができるのはすでに決まっていて、そのいずれもが男性に限られているという考えが導き出されたというわけである。しかし、男性優位で女性を軽視するインドだからこそ、釈尊以前の六人の過去仏も、未来仏を男性に限ったという見方もできるのではないかという思いも禁じることはできない。第二点目については、比丘尼教団の発足に当たって、それを不満に思う比丘が一人もいなかったと言えないのではないかということによるであろう。比丘尼教団が発足して、比丘尼たちはいくつかの事柄について権利を獲得していた。それは釈尊の口添えもあってのことであった。従って、釈尊が入滅してしまうと、彼女たちの立場は一気に低下していかざるを得なかった。例えば、女性の出家については、スパー尼がマハー・パジャーパティー尼のもとで出家したのをはじめ、スンダリー尼がヴァーセッティー尼のもとで出家している(中村元著『仏弟子の生涯』四四四頁、四七八頁)。ところが後に触れるパーリー律の「八重法」では、比丘サンガの両方で受戒を受けるべきとされ、比丘尼たちの権限が制約されている。「マハー・パリニッパーナ・スッタンタ」には、釈尊の訃報を伝え聞いたマハー・カッサパ(大迦葉)ら一行が釈尊の死を嘆き悲しんだということが記されている。ところが、その一校の中に年おいて出家したスパッタという修行僧がいて、次のことを口にしたと記録されている。 やめなさい。友よ、悲しむな。悲嘆するな。われわれはその偉大なる修行者(沙門)からすっかり解放されるのだ。「これはあなたたちに適当である」「これは、あなたたちに適当ではない」と「言われて」、われわれは煩わされてきた。しかし今からは、われわれは、したいことを何でもなして、してくないことを何もなさないようにしましょう。(『ディーガ・ニカーヤ』第二巻、一六二頁) こんな不謹慎なことを後世になってわざわざ書き足すようなことはまず考えられない。教団が保守化し、権威主義化する前に事実として伝承されたものが、そのまま伝えられているとしか考えられない。こうしたことが記されていることからすると、一部には釈尊の存在を煙たく思っていたものがいたことが想像される。このことから類推して、釈尊の教えの全体ではないにしても教えの一部に納得いかなかったものもいたのではないだろうか。従って、女性の出家などありえないことだとされてきたインド社会において、釈尊の意に反して比丘尼教団の存在を好ましく思っていた比丘がいたと考えても不自然ではないであろう。そのため、釈尊の滅後には尼僧教団に対する風当たりも次第に厳しいものとなっていたのではないだろうか。I・B・ホーナー女史によると、ギリシャ人の王ミリンダと、インドの仏教僧ナーガセーナとの東西対話である「ミリンダ王の問い」が作成された紀元前二世紀ごろは女性の立場は、一層低下していたということである(Women under primitive Buddaism,p.291)。釈尊滅後の教団は、比丘尼教団の存在を足手まといであると思っていたのであろう。こうした状況の中で、経典や律蔵の編さんがなされたわけであるが、それを担ったのは、男性出家者であった。女性出家者は、一切それに関与できなかった。こうしたこともあって、私たちが今日、目にする多くの経典に女性を差別する表現が含まれていることになったともいえよう。梶山博士の考えの第三点目については、釈尊の神格化の過程において、古代インド人にとっての理想的帝王である転輪聖王に具わると考えられていた三十二相をブッダも具えていると考えるようになったことによるものである。『スッタニパータ』には、釈尊の在世当時のバラモンが、 緒の神呪(manta=ヴェータ)の中に、完成された偉大な人の三十二の特相が(伝えられて)来た。(それらは)順次に説かれている。 と述べ、ブッダもそのような偉大な人の特相を具えているはずであると語った言葉が出てくる。マンタ(manta)とは呪文のことだが、仏教徒は「ヴェータ」のことをバラモンが始終唱えている呪文という程度に理解していたようである。(中村元著『原始仏教の成立』四三頁)。この一節は、パーリ経典の中によく見られるが、このように、三十二相は元々は仏教の考えではなく、バラモン教において古代インドの理想的帝王である転輪聖王に具わるものだと説かれた。『スッタニパータ』では、仏教徒ではないバラモンの言葉として、「ブッダも三十二相を具えているはずだ」という表現がなされていたが、後にバラモンたちの考えを採り入れ、仏教と自らがブッダの特徴として三十二相を定式化し、部派仏教においてもそれが踏襲された。ところが説一切有部においては、同じ三十二相でも転輪聖王のものよりもブッダのもののほうが一層優れていると論じられるまでになっている。この点においても神格化が進められた。その三十二相の中には、第一一相:ほおが雄ライオンのように豊かで広い(師子頬相)第一九相:上半身が雄ライオンのように立派である(師子上身相)第二三相:馬のように男性器が身体に隠れている(馬陰蔵相) といったものが含まれていて、これらの特徴はすべて男性に限られるものである。これによって、ブッダ(目覚めた人)は、三二相を具えている。三四相を具えているのは、男性でなければならない。ゆえに、 ブッダ(目覚めた人)は、男性でなければならない。という三段論法で、(ブッダは男性に限る)という図式が出来上がってしまった。こうした決めつけは、男性出家者がなしたことであるのは言うまでもない。ところがこの三十二相は、大乗仏教運動が興った当初からやり玉にあげられた。大乗仏典の『金剛般若経』では、三十二相によって如来の特徴を見るのは、「邪道を行ずるもの」(中村元・紀野一義訳註『般若心経・金剛般若経』一一四頁)と批判されている。大乗の文献ではないが、『ミリンダ王の問い』において、ギリシャ人の王ミリンダが、インド人の僧ナーガセーナに対して、「仏が備えると言われている三十二の特徴など信じることができない」と、合理的立場から質問を発している(『ミリンダ・パンパ』七五頁)ことも興味深いことである。 【差別の超克 原始仏教と法華経の人間観】植木雅俊著/講談社文庫