ひらめきのヒント
きょうのテーマひらめきのヒント芥川賞作家 村田 喜代子さんむらた・きよこ 1987年、『鍋の中』で芥川賞を受賞後、数々の文学賞を受賞し、現在、川端康成文学賞等の選考委員を務める。近著に『飛族』(谷崎潤一郎賞)、『姉の島』(泉鏡花賞)他、著書多数。 生みの苦しみとは言うけれど。ここぞというときに良いアイデアが思いつかないのはつらい。どうやったら良い着想ができるのか。次々と独自の発想で新たな小説を発表し、芥川賞をはじめ数々の文学賞を受賞している作家の村田喜代子さんに聞いた。 〇〝心〟の写真を撮りためて私の仕事は主に小説を書くことですが、どう描くかという前にまず「何を」書くかということを考えねばなりません。作家という仕事は、まったくの無から有を生み出す仕事だと思われている方もいらっしゃるようですけれども、それはちょっと違います。着想の源となるのは、自分の体験が多いからです。それは、外出先で見かけた光景であったり、出会いであることもあれば、一日中でふと心に浮かんだことであったり、家族の何げない言葉であることもあります。私は、そうしたことをさっとメモしたり、スケッチすることを習慣にしています。最近、多くの人がスマホを持ち歩き、気軽に写真を撮っています。そこには、実際に目に映るものしか撮れませんが、〝心〟のカメラは、変幻自在です。自分の心のセンサーで手を動かし、記憶にとどめることができるのです。 〇〝共感〟へと広げていよいよ原稿用紙に「何を」書くか。手を伸ばすのは、日々撮りためた〝心〟の写真が入った引き出しです。例えば、以前書いた短編小説で『真夜中の自転車』という作品があります。私は、ある時、たまたま通りかかった自転車店で薄暗い天井からつり下がっている自転車に心奪われました。この時の写真を心の引き出しから取り出します。 「……私の頭の真上には、黒いおとな用の自転車と、幼児用のピンク色の三輪車が並んでさがっていた。吊っている紐は見えないので、暗い天井にふわっと浮いているようだった。なにかスリラー映画のポスターに出てくるような情景だ」 私はその時、「この自転車に乗ってみたい」とふと思ったのでした。そこで、主人公がこの宙づりの自転車に乗る話を書くことに。というのも、私は実は自転車に乗れないのです。いくら練習をしてもダメだった。それで自転車は永遠に乗れないものとして、私の中にはあるのです。ここでポイント。だからといって、いきなり宙づりの自転車に乗る話を書いたら、読まされた人たちは、どう思うのでしょうか。自分も「乗りたい」と感じるでしょうか。むすろ、逆に、「やっぱり変わった人だ」と思うのではないでしょうか。本を閉じてしまうかもしれません。物語の世界に引っ張り込むためには、読者の共感を得なければなりません。そこで、どうしたらよいか。読者と何を共有できるか。例えば、誰もが懐かしいと思うのも、郷愁には普遍性があります。ここでは、自転車に乗る練習をする小学生の女の子とそれをサポートする主人公の家族たちの日常をまず丁寧に描きました。子どもの頃の懐かしい思い出として、多くの人と共有できるエピソードだと考えたからです。 〇〝キズ〟から生みの〝楽しみ〟へ先ほど、私が自転車に乗れない(運転もできない)ということを皆さんに告白しましたね。他にも、私には、普通と比べて自分には足りないものがいくつかあります。中でも、父親の不在や吃音といった問題は、幼い私を少なからず悩ませました。では、そうした事柄が私の人生にマイナスになったかというと、そんなことはありません。むしろ、常に楽しい方向へと想像力を働かせる習慣や少し変わった視点で捉える癖が付きました。〝足りないもの〟こそが私の文学の源だとも言えます。「玉にキズ(瑕)」ということわざがありますが、何かを生み出すときに、発想の跳躍台になるのは、〝玉〟よりも〝キズ〟です。もし、皆さんが、何らかのキズやコンプレックスを抱えていたとしたら、それは宝物です。そこに、さまざまなアイデアの生みの楽しみとなる種が潜んでいるでしょう。 【暮らしのアンテナFOR DAILY LIVING】聖教新聞2022.8.14