人格を尊重して
人格を尊重して日蓮仏法は、万人に「尊極の仏の生命」を見出す。人種も民族も国籍も、また性別も職業も立場も、そして年齢も全く関係ない。大聖人は、子どもを授かった門下の夫妻に「「現世には跡をつ(継)ぐべき孝子なり、後生にはまた導かれて仏にな(成)らせ給うべし」(新1631・全1123)と祝福されている。子どもを一人の最極なる生命の当体として、尊敬し、尊重し、信頼することは、仏法者の当然の振る舞いと言ってよい。法華経に登場する、八歳の竜女が、自らの即身成仏の姿を通して、「万人成仏」に疑いを抱いた大人たちに「妙法への信」を奮い起こさせていく場面にも、「子どもの尊厳性」を訴えるメッセージであろう。子どもの人権というテーマについては、元国連事務総長のチョウドリ博士と語り合ったことも懐かしい。国連で一九八九年に採択された「子どもの権利条約」の推進に、大きな役割を果たされた方である。博士は、二つのポイントに光を当てられていた。一つは、「子どもには権利があり、その権利を大人社会は認める必要がある」という基本理念だ。二つは、大人の行いが、現在あるいは将来に子どもたちに影響を及ぼす場合、子どもに意見を聴くべきである—という点である。子どもを一個の人格として敬愛し、相手の発達段階に合わせて伸びやかに意見を引き出しながら、その思いを受け止め、理解し、できる限り反映をしようと務めることとも言えようか。まさしく「対話」である。過程で、また地域で、子どもたちとこうした「語らい」を重ねることそれ自体が、互いの「対話力」を育み、望ましい人間関係をつくる力を伸ばしていく。ひいてはそれが、平和な地域・社会の建設にもつながっていくことを確信したい。「もし私たちが、本当に世界の平和を実現したいのなら、そして戦争をなくす戦いを進めたいのなら、それは子どもたちから始めなければならない」と、若き生命の可能性を信じ抜いたマハトマ・ガンジーは断言した。 【随筆「人間革命」光あれ―池田大作―】聖教新聞2022.8.4