獄中で培った確信
世界人権宣言が採択された48年は、一方で、南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離)政策が始まった年でもありました。その撤廃を目指し、自らが受けた差別への怒りや悲しみを乗り越えながら前に進み続けたのがネルソン・マンデラ元大統領です。初めてお会いしたのは、マンデラ氏が獄中生活から釈放された8カ月後(90年10月)でした。青年時代に解放運動に立ち上がった思いを、マンデラ氏は自伝にこう綴っています。「何百もの侮蔑、何百もの屈辱、何百もの記憶に残らないできごとが絶え間なく積み重ねられて、怒りが、反抗心が、同胞を閉じ込めている制度と闘おうという情熱が、自分のなかに育ってきた」と。投獄によってさらに過酷な扱いを受けたものの、氏の心が憎しみに覆われることはありませんでした。どんなに辛い時でも、慣習が時折のぞかせる「人間性のかけら」を思い起こし、心を持ちこたえてきたからです。すべての白人が黒人を心底憎んでいるわけではないと感じたマンデラ氏は、看守たちが話すアフリカーンス語を習得し、自ら話しかけることで相手の心を解きほぐしていきました。横暴で高圧的だった所長でさえ、転任で刑務所を離れるときには、マンデラ氏に初めて人間味のある言葉をかけました。その思いがけない経験を経て、主張が続けてきた冷酷な言動も、突き詰めていけばアパルトヘイトという「非人間的な制度に押しつけられたもの」だったのではないかとの思いに行き着いたのです。27年半、実に1万日に及ぶ獄中生活を通し、「人の善良さという炎は、見えなくなることはあっても、消えることはない」との揺るぎない確信を培ったマンデラ氏は、出獄後、大統領への就任を果たし、「黒人も白人も含めたすべての人々」の生命と尊厳を守るための行動を起こしていきました。大勢の黒人が白人グループに殺害され、黒人の間で怒りが渦巻いた時にも、型通りの言葉だけで融和を図ろうとはしませんでした。ある演説の途中でマンデラ氏は、突然、後方にいた白人の女性を呼んで演台に迎え、笑みをたたえながら“刑務所で病気になった時に看病してくれた人です”と紹介しました。問題は人種の違いではなく人間の心にある――――その信念を物語る場面を目にした聴衆の雰囲気は一変し、復讐を求める声も次第に収まっていったのです。この振る舞いは、自身を縛り続けてきた“非人間性の鎖”の重さが身に染みていたからこそ現われたものではないでしょうか。【第43回「SGIの日」記念提言『人権の世紀へ 民衆の大河』】聖教新聞2018.1.26