功徳とは揺るぎない境涯
功徳とは揺るぎない境涯「法師功徳」を明かした「御義口伝」の一節です。法華経の説く法師(仏法を教え導く人)とは、受持・読・誦・解説・書写の五種の妙行を修行する人(五種法師)です。「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(1245㌻)と仰せの通り、妙法を唱え、広める人、すなわち広宣流布に生き切る人こそが、法師なのです。では、その法師が受ける功徳とは、どういう者なのか。大聖人は「功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり」と教えられています。即身成仏とは、十界互具の法理の上から、凡夫の身のままで仏の境涯を開き表すことができるということです。〝凡夫の身のまま〟です。つまり、悩み苦しんでいる自身が、そのまま仏の境涯を開けるのです。たとえ病気であっても、また、さまざまな悩みや苦しみを抱えていたとしても、そのままで絶対的な幸福を享受していけるのです。六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚・認識器官のことです。六根清浄の功徳とは、煩悩の影響を受けず、正しい認識・判断・行動ができるようになる。本来具わる仏の力が十分に発揮されるようになるということです。功徳とは、揺るぎない幸福境涯の異名なのです。そして、自分だけでなく、苦悩する人がいれば、慈悲の心を起こして自他供の幸福への道を開いていこうと一緒に立ち上がっていく。それが六根清浄の境涯です。 【池田大作先生の御書講義世界を照らす太陽の仏法】大白蓮華2020年9月号