なぜ人は待てなくなったのか
鷲田清一わしだ・きよかず(哲学者・大阪大学総長)「待つ」「聴く」を排除する近代社会「待つ」こと、「聴く」ことができない社会になってしまった。かつて待つことには文化的な価値があり、人間にとって大切な徳目の一つとされてきた。しかし近代社会が成り立つにつれ、その徳目が否定され、待つことの意味が評価されなくなってしまった。 ◇家族や友だちは、話しを聴いてくれるだけでなく、いつまでも待っていてくれるものだ。待った結果、何も達成できなくてもいい。それが家族や友人というものだ。私たちは、何かの目的や利益を達成するために家族関係や交友関係を結んでいるわけではない。 ◇本気で人の話を聴くというのは大変なことだ。特に、心に大きなダメージを受けた人の話しを聞くのはなおさらである。人の話しを聴くためには、まず相手が話したくなるまで待ってあげなければならない。「聴く」と「訊く」は、同じ「きく」でも意味が大きく違う。「訊く」は「訊(たず)ねる」という意味だ。何か訊ねたり急かしたりすることなく、ただ相手の話りを聴く。それが大切なことなのだ。予想がはずれることこそ想像力の源泉なぜ聴く、待つといったことが社会から失われてしまったのか。それは、今の社会が偶発性や偶然性を恐れているからだと思う。偶発性や偶然性を恐れる社会とは何か。それは、想定外のことができるだけ起こらないようにする社会のことである。ある目的を設定し、最短、催促で無駄なしに目標を達成するのが一番いい事業の進め方だとされる。その理屈を、社会のあり方や教育にも全部当てはめてしまう。 ◇近代社会、特に都市生活においては、効率よくモノを作ったり金儲けをするシステムがますます確立されつつある。だがそのシステムを実際に担うのは、人間だ。結局のところ、人間がやる気と意欲を出さなければシステムは動かない。成績があまりあがらない従業員のことを「いつでも変えられる歯車やこまのひとつだ」と見ているような経営者であれば、従業員の士気はますます落ちてしまう。たとえ出来が悪い従業員であっても、ちょっと声をかけたり話しを聴いてあげたりしながら、辛抱強く待ってあげることが大切なのだ。 ◇人が納得をし、底力を発揮するまで待ってあげる。そのためには、相手にイニシアティブ(主導権)を渡さなければならない。親や先生であれば子どもを、経営者であれば従業員を信じてイニシアティブを預ける。自分がイニシアティブを独占しない。こうした姿勢が、ホスピタリティ(人を温かくもてなし、歓待すること)の根底にある。人間性という言葉の語源にこめられた意味ヨーロッパの伝統文化で昔から人々が最も戒めてきたのが傲慢である。その反対である謙虚のことを英語でhumilityという。humilityとhumanity(人間性)、この二つの言葉の語源は、ラテン語のhumus(腐植土)である。自分は地面で肥やしとなり、人に花を咲かせてあげる。「人間性」という言葉の語源が「腐植土」であるというのは、すごいことだと思う。また、attendre(待つ、期待する)というフランス語は、英語のattend(同伴する、お世話する)と語源が一緒だ。人に花をもたせてあげる、相手を立ててあげるために、イニシアティブは相手に預けて自分はホスピタリティに徹する。つまり待つことが、ホスピタリティの根幹にあるのである。【なぜ人は待てなくなったのか】July 2008 潮