科学と宗教に関する一考察
明治大学教授 小椋 厚志さん 真理探求には哲学が不可欠 「科学が進歩すればするほど、仏法の法理の正しさが証明される」とは、第2代会長・戸田先生の達観でありました。 まだまだ科学は発展途上ですが、私は、この言葉をかみ締めています。 例えば、法華経に説かれる六難九易。これは、“人間の内面世界を変える”という難しさに比べれば、“枯草を背負って劫火の中に入っても焼けない”などは、簡単なことだと教えています。 簡単と言っても、昔であれば、常識的には不可能と思われていたこと。しかし、科学の力を用いれば、枯草を背負っても焼けないことは、今では可能になりました。 一般的に、科学の進歩は“事実を積み上げて細かい問題を解決し、そこから大きな法則を導く”という帰納法によって支えられてきたと思われます。一面では真実かもしれませんが、科学の進歩は、そうした機能的アプローチだけによるのではないと、私は思います。 私は半導体技術の研究に当たっています。工学系なので、科学的に発見された理論を使い、モノづくりにどう生かすかを考える立場です。15年前には、電極の幅がナノメートルという、世界最小(当時)のトランジスタの開発に携わりました。 トランジスタとは、コンピューターなどに用いられる半導体の大規模集積回路(LSI)に組み込まれるもの。このLSIに搭載されたトランジスタの数が性能に関係するため、これまで、世界はトランジスタの小型化を競ってきました。 ナノメートルは、1メートルの10億分の1。例えば、地球の表面をリンゴ1個程度の誤差の範囲内で、精密に加工する技術です。そのモノづくりを実現するため、科学的な見地に基づいたさまざまな仮説を立て、それを実験によって立証していくのですが、時には、これまでの経験や“こうあるべき”“こうあらねばならない”という信念から、仮説を立てることもあります。これは帰納法ではなく、“大局観から固め、それから細かい問題に及んでいく”という演繹的な発想です。そうした発想が成功を収めたこともありました。 そもそも古来、物理学者たちは、“神がつくった宇宙は単純なはず”“究極の法則は美しいはず”との信念を持ちつつ、理論を積み重ね、宇宙の真理を求めてきました。その探求心から物理学は発展しており、相対性理論を発見したアインシュタインも“宗教なき科学は不具”“想像力こそ科学研究の真の要因”との言葉を残しています。 これは帰納法だけではなく、“こうあるべき”との信念を持ち、演繹的にアプローチしていくことが必要であることを示唆していると思います。 御書には「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理文証も現証にはすぎず」(1468頁)とあります。道理とは“こうあるべき”との信念であり、証文とは理論の積み重ねといえます。日蓮大聖人は、この両方が必要であるとされた上で、最終的には、元証が大事であると述べられました。いわば、帰納と演繹という両面のアプローチを大切にしながら、実験での証明を重視することです。まさに私が研究者として感じてきた点と一致しており、仏法が科学的であると思う理由です。 私は“こうあるべき”との哲学が真理であれば、そこから、新たな理論や技術生まれ続けていくと信じています。宇宙の根本法則を説く仏法。私は、その偉大さを証明する研究者でありたいと決意しています。 (副学術部長) 【現代と仏法—学術者はこう見る— 第4回】聖教新聞2018.5.26